2013年06月09日
嬉野を想う
この4月から新しい職場にかわりました。
「人には年に応じた初心がある」 佐渡に流された世阿弥の言葉です。
これが進化して「初心忘るべからず」の言葉になったそうですが、まさにいくつになっても人はそういう人生
を歩むべきと思います。
ずっと若い頃、20年ほど前の4月1日、初出勤に向かう自分の後ろから、父親が声をかけました。
「今日から一切家のことを案じてはならん。地域のことを思って、住民のことを思って、
一生をかけて尽くしなさい。」 私は、その声を今でも忘れることはできません。
どのような環境においても、新たな決意、新たな気概を持って新しい生活に臨んでいきたいと思います。
これまで主に地域振興、地域貢献の道を歩ませていただきました。
心に一点の曇りもなく、真摯に真剣に取り組み、多くの皆さんと出会い、いろんな声を聞くことができたの
ですがそのなかで大きく欠落しているものがあるのではないか?ということを感じました。
それは、嬉野の自然環境や温泉の素晴らしさ、施設の充実、うれしの茶、やきものなど素材の良さを
売り込むことも必要なことですが、それよりももっと以前の段階で、訪れてくださる方に地域ができる
心配りがあるのではないかということです。
素材の良さだけでなく、それらを組み合わせて楽しんでもらうための商品づくりやあちらこちらに貴重な
財産が残っているのだから、それを知ってもらい楽しんでもらえるような仕組みづくりが必要なのでは
ないかということです。
私は以前から市内のあちこちに出かけ、四季折々の自然の声、訪れる人々の声に耳を澄ませています。
そこから、本当に求められていることが見えてくるのではないかと考えています。
その場に足を延ばしてみることで、何かを感じるかもしれない、何かが聞こえてくるかもしれない。
我々はそういうことを原点に立ち戻って意識しなければならないと思っています。
観光であるとか文化財であるとか、そういった次元の話ではなく、今こそ原点に立ち返って嬉野の持って
いる魅力をみんなで感じ取っていくということが必要なのではないかと思っています。
やはり現場主義程大切なことはありません。
今年、嬉野温泉は開湯1300年の区切りを迎え、8月から始まる“嬉野温泉開湯1300年祭”の実施に
向け、現場からさまざまな企画が持ち上がってきて準備が進められています。
臨界期という言葉があります。
人生には臨界期と呼ばれる年齢がいくつかあるという。
その年齢以下で経験させなければ、以後、いかなる努力をしようとも身につかない技術や才能や可能性。
言いかえれば、ある時期が来るまでにスタートさせないと、決してその分野では一流の域に達することが
できないというもの。
この臨界期は、人生にもそうだが、地域にも、政治にも、そして政策にもひとしくあてはまる教示である。
決して戻ってはこない重要な時間が我々の目前に横たわっているということを改めて認識しなければ
なりません。
そこでどのように英知を結集させて、この嬉野を盛り上げていくのかにかかっています。
嬉野は今こそ臨界期
今でなければ成し遂げられないというこのまちの臨界期を意識してほしいと思います。
全ては嬉野のために!
「人には年に応じた初心がある」 佐渡に流された世阿弥の言葉です。
これが進化して「初心忘るべからず」の言葉になったそうですが、まさにいくつになっても人はそういう人生
を歩むべきと思います。
ずっと若い頃、20年ほど前の4月1日、初出勤に向かう自分の後ろから、父親が声をかけました。
「今日から一切家のことを案じてはならん。地域のことを思って、住民のことを思って、
一生をかけて尽くしなさい。」 私は、その声を今でも忘れることはできません。
どのような環境においても、新たな決意、新たな気概を持って新しい生活に臨んでいきたいと思います。
これまで主に地域振興、地域貢献の道を歩ませていただきました。
心に一点の曇りもなく、真摯に真剣に取り組み、多くの皆さんと出会い、いろんな声を聞くことができたの
ですがそのなかで大きく欠落しているものがあるのではないか?ということを感じました。
それは、嬉野の自然環境や温泉の素晴らしさ、施設の充実、うれしの茶、やきものなど素材の良さを
売り込むことも必要なことですが、それよりももっと以前の段階で、訪れてくださる方に地域ができる
心配りがあるのではないかということです。
素材の良さだけでなく、それらを組み合わせて楽しんでもらうための商品づくりやあちらこちらに貴重な
財産が残っているのだから、それを知ってもらい楽しんでもらえるような仕組みづくりが必要なのでは
ないかということです。
私は以前から市内のあちこちに出かけ、四季折々の自然の声、訪れる人々の声に耳を澄ませています。
そこから、本当に求められていることが見えてくるのではないかと考えています。
その場に足を延ばしてみることで、何かを感じるかもしれない、何かが聞こえてくるかもしれない。
我々はそういうことを原点に立ち戻って意識しなければならないと思っています。
観光であるとか文化財であるとか、そういった次元の話ではなく、今こそ原点に立ち返って嬉野の持って
いる魅力をみんなで感じ取っていくということが必要なのではないかと思っています。
やはり現場主義程大切なことはありません。
今年、嬉野温泉は開湯1300年の区切りを迎え、8月から始まる“嬉野温泉開湯1300年祭”の実施に
向け、現場からさまざまな企画が持ち上がってきて準備が進められています。
臨界期という言葉があります。
人生には臨界期と呼ばれる年齢がいくつかあるという。
その年齢以下で経験させなければ、以後、いかなる努力をしようとも身につかない技術や才能や可能性。
言いかえれば、ある時期が来るまでにスタートさせないと、決してその分野では一流の域に達することが
できないというもの。
この臨界期は、人生にもそうだが、地域にも、政治にも、そして政策にもひとしくあてはまる教示である。
決して戻ってはこない重要な時間が我々の目前に横たわっているということを改めて認識しなければ
なりません。
そこでどのように英知を結集させて、この嬉野を盛り上げていくのかにかかっています。
嬉野は今こそ臨界期
今でなければ成し遂げられないというこのまちの臨界期を意識してほしいと思います。
全ては嬉野のために!
Posted by 嬉野温泉 at 01:11│Comments(0)