2008年10月31日
イベントについて
佐賀県内でも観光シーズンに入り、各地でイベントが行われている。
バルーンフェスタも始まり、唐津くんちや嬉野温泉秋まつりももうすぐだ。
あちこちのイベントではなんとかとかいう歌手やタレントを呼んで、そして多くの人を集めて、楽しくて賑わったから
よかったというような話を良く聞くし、数年前、歌手の長渕剛が桜島で7万人を集めてコンサートをやったときに
何人かの人々が彼を嬉野に呼んだらまちが活性化するという意見を聞いたことがある。
そういう意見に自分は全く情けなくなり、失望したことがある。
もちろん長渕剛の人気や圧倒的な存在感は理解しており、カリスマ的な存在でもある。
お金で呼ぼうとしても来てくれるかわからないほど、人気、実力、存在感どれをとっても日本でトップクラスだ。
しかし、有名ですごいのは長渕剛本人であり、どこで公演をやったかというのはほとんど頭に残っていない。
と同時に、歌手本人とその地域や、それから先に何か効果をつくるとか、地元の市町村の歌をつくるとかいったことなど、
公演をきっかけにしてつながりのある企画の掛け算ができていくといった考え方、戦略でやるとすればそれはいいことだ。
しかし、本来イベントというのは地域の力が試されることと思っている。
イベントに関わる人たちが、どのような苦労をして、イベントを運営しているのか。
お客さんが何人集まったかよりも、地域の人たちがどう関わったかが重要でそういう視点でみるようにしている。
だからこそイベントはいつも手づくりに限る。
バルーンフェスタも始まり、唐津くんちや嬉野温泉秋まつりももうすぐだ。
あちこちのイベントではなんとかとかいう歌手やタレントを呼んで、そして多くの人を集めて、楽しくて賑わったから
よかったというような話を良く聞くし、数年前、歌手の長渕剛が桜島で7万人を集めてコンサートをやったときに
何人かの人々が彼を嬉野に呼んだらまちが活性化するという意見を聞いたことがある。
そういう意見に自分は全く情けなくなり、失望したことがある。
もちろん長渕剛の人気や圧倒的な存在感は理解しており、カリスマ的な存在でもある。
お金で呼ぼうとしても来てくれるかわからないほど、人気、実力、存在感どれをとっても日本でトップクラスだ。
しかし、有名ですごいのは長渕剛本人であり、どこで公演をやったかというのはほとんど頭に残っていない。
と同時に、歌手本人とその地域や、それから先に何か効果をつくるとか、地元の市町村の歌をつくるとかいったことなど、
公演をきっかけにしてつながりのある企画の掛け算ができていくといった考え方、戦略でやるとすればそれはいいことだ。
しかし、本来イベントというのは地域の力が試されることと思っている。
イベントに関わる人たちが、どのような苦労をして、イベントを運営しているのか。
お客さんが何人集まったかよりも、地域の人たちがどう関わったかが重要でそういう視点でみるようにしている。
だからこそイベントはいつも手づくりに限る。
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00:55
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2008年10月28日
観光圏整備法どげんかせんといかん。
最近、佐賀県旅館組合青年部では「観光圏整備法」が話題になっているという。
今月中旬に行われた佐賀県旅館組合青年部役員会でも議題になったという。それ以前にも自分に相談があっていた。
7月に施行された「観光圏整備法」は観光地が広域的に連携した「観光圏」を整備することで地域の伝統や食などの観光魅力を掘り起こし、2泊3日以上の滞在を促進するため国がエリア指定するもので支援制度も設けられている。観光客にとって市町村や県の枠はあまり意識するものではなく、県境を越えたエリアの広がりにも期待がかかる。 先日、全国で数箇所指定されたとの発表があり、九州では阿蘇くじゅう地域(熊本・大分)と東九州地域(大分・宮崎)の2箇所が指定されたとの報道があり、出遅れを感じた青年部員に少し焦りがあったようだ。
この事業の事業主体は民間組織となっており、「観光圏」のエリアも複数の市町村になっていて、県を越えたエリア指定も可能となっているところにある。
行政の業務のすみ分けとして大まかには、住民に身近な行政は市町村が行い、広域的・包括的な業務は県が行うものであるがこういった地域の民間組織の主体性を尊重しながらも広域的なエリア指定、合意形成が求められる政策のあり方は初めてであり、誰がどうやって、どう取り組んだらいいのか現場レベルで戸惑いがあるのは事実だ。
個人的にはしばらくは事業主体が民間組織である以上、行政サイドが黒子に徹して広く意見を求めたいと考えている。
黒子というのは表に出ない、身を隠して役に立つという意味で使われているが、それだけではなくて本来、黒子というのは、シナリオの全てを熟知し、舞台の状況を完璧に把握していなければ、その役を全うできない。そのためには、豊富な経験を積み、現場の状況を肌で感じ取れる力を養わなければならない。そうすることによって魅力ある観光地づくり、まちづくりのドラマを地域とともに演じきれると思っている。
今度、指定された観光圏には、別府、由布院、黒川、阿蘇など。中九州、東九州の温泉地がしっかり入っている。
3年後の鹿児島新幹線の全線開通を意識し、観光導線の優位性も視野に入れながらの取り組みであろう。
「誰かがやるだろうということは、誰もやらないということを知りなさい」
マザー・テレサの有名な言葉だ。
今のままでは佐賀県では、誰かが動かなければ動き出さない。
自分の力ではどうしようもないが少し焦りはある。しかし良質の焦り。
佐賀県ば、西九州ば、どげんかせんといかん。
今後、自分も他地域に負けないように情報収集しながら、青年部の方々の意欲をそぐことのないようせっかく立ち上がってきた芽を大切に見守っていきたい。
今月中旬に行われた佐賀県旅館組合青年部役員会でも議題になったという。それ以前にも自分に相談があっていた。
7月に施行された「観光圏整備法」は観光地が広域的に連携した「観光圏」を整備することで地域の伝統や食などの観光魅力を掘り起こし、2泊3日以上の滞在を促進するため国がエリア指定するもので支援制度も設けられている。観光客にとって市町村や県の枠はあまり意識するものではなく、県境を越えたエリアの広がりにも期待がかかる。 先日、全国で数箇所指定されたとの発表があり、九州では阿蘇くじゅう地域(熊本・大分)と東九州地域(大分・宮崎)の2箇所が指定されたとの報道があり、出遅れを感じた青年部員に少し焦りがあったようだ。
この事業の事業主体は民間組織となっており、「観光圏」のエリアも複数の市町村になっていて、県を越えたエリア指定も可能となっているところにある。
行政の業務のすみ分けとして大まかには、住民に身近な行政は市町村が行い、広域的・包括的な業務は県が行うものであるがこういった地域の民間組織の主体性を尊重しながらも広域的なエリア指定、合意形成が求められる政策のあり方は初めてであり、誰がどうやって、どう取り組んだらいいのか現場レベルで戸惑いがあるのは事実だ。
個人的にはしばらくは事業主体が民間組織である以上、行政サイドが黒子に徹して広く意見を求めたいと考えている。
黒子というのは表に出ない、身を隠して役に立つという意味で使われているが、それだけではなくて本来、黒子というのは、シナリオの全てを熟知し、舞台の状況を完璧に把握していなければ、その役を全うできない。そのためには、豊富な経験を積み、現場の状況を肌で感じ取れる力を養わなければならない。そうすることによって魅力ある観光地づくり、まちづくりのドラマを地域とともに演じきれると思っている。
今度、指定された観光圏には、別府、由布院、黒川、阿蘇など。中九州、東九州の温泉地がしっかり入っている。
3年後の鹿児島新幹線の全線開通を意識し、観光導線の優位性も視野に入れながらの取り組みであろう。
「誰かがやるだろうということは、誰もやらないということを知りなさい」
マザー・テレサの有名な言葉だ。
今のままでは佐賀県では、誰かが動かなければ動き出さない。
自分の力ではどうしようもないが少し焦りはある。しかし良質の焦り。
佐賀県ば、西九州ば、どげんかせんといかん。
今後、自分も他地域に負けないように情報収集しながら、青年部の方々の意欲をそぐことのないようせっかく立ち上がってきた芽を大切に見守っていきたい。
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07:30
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2008年10月28日
観光振興の課題 民間組織の育成
観光庁が発足して約1ヶ月が経つ。
観光立国を目指して国土交通省の外局として発足したものであるが、注目すべきは組織の構成ではなく、政策の動向にある。国における観光行政は主に土木、建築、交通を所管する国土交通省が担ってきたせいか、これまでのように予算規模の大小を評価の対象にするのではなく、どういう切り口で日本経済の再生を図るかにある。山や海、温泉などの自然環境、観光資源のすばらしさを基軸におきながらも、地域の持つ歴史、文化、人、それらの潜在的能力を掘り起こすことこそが魅力ある観光地づくりに必要不可欠な要素であると考えている。
そういう意味で佐賀県では、毎月ファミリーツーリズム研究会を開催し、国に先んじて未来を予見し、相田観光企画監の指導のもと、県内各地にその可能性の点を立ち上げ、線に育て上げているところであり、その成果は多くの方々が注目するところであり、日本中に佐賀県の存在を知らしめるものである。県と市町、関係団体が構築してきた人的ネットワークの強みは佐賀県観光が誇れるもののひとつだ。県職員と市町職員、市町職員間、そして宿泊施設や観光施設の交流は、時に仕事を超えて個人的でさえある。だからお互いがお互いに持つ力を超えて、すばらしい力を有する。
観光立県を真に実現できる一番有効な手段、自分はそれは県内各地に組織化されている観光協会などの民間組織をしっかりと育成することにあると思っている。行政だけは現場のエネルギーを掘り起こすことは難しく、地域に潜在する企画力、実践力を政策として生かしていくために観光協会などの民間組織をしっかりと育て上げることが急務と考える。県内の観光協会の多くは何らかの形で自治体からの支援を受けている。つまり、行政との接点を持っているが、ここには民間でしか持ち得ないノウハウや経験がストックされ、地域産業を横断的に結ぶ人脈もある。そして自由な発想や現場に通用する企画力も実践力も潜在をしている。行政がこの組織育成を重点的に行えば、トップダウン型、ボトムアップ型両方を存分に引き出せるのではと思っている。こういう点を意識して佐賀市、武雄市などでは行政から職員を派遣されているのだろう。
最もこれらの団体は民間の色合いが濃い組織であるが、なかには行政におんぶにだっこの組織もあれば、行政の施行業者的な体質を持った組織もある。地域により、組織の形態は様々である。
数年前から国土交通省や経済産業省では、国の予算を県、市町村を通さず地域の民間組織に対してダイレクトに支援する新たな手法が取り入れられている。小さな地域、小さな組織であっても意欲と能力さえあれば光が当たるようなボトムアップ型の政策は安直な陳情合戦や地域間の予算の取り合いが通用しない歓迎すべき時代にきたと感じている。
一方、佐賀県観光がファミリーツーリズム研究会を中心に広域的、横断的に活動の輪を広げつつあるなか、気になるのは実践者である民間組織の弱体化にある。特に観光協会や商工会などは、過疎化、高齢化によりその活動に地域間格差が大きくなっているのが現状であり、国が示した新しい政策に対してついてこれない組織があまりにも多すぎる。市町村合併が進み、自治体が広域化、拡大化した現在にあって地域の実践者として主役にならなければならない民間組織が弱体化していては、せっかくの政策が生かされないと心配をしている。
今の一番の課題は、このような組織の強化に誰がリーダーシップをとって育成をするのか。どこに弱体化の原因があるのか。問題点を解消させながら、しっかりと育成していくことが必要であると考えている。
観光立国を目指して国土交通省の外局として発足したものであるが、注目すべきは組織の構成ではなく、政策の動向にある。国における観光行政は主に土木、建築、交通を所管する国土交通省が担ってきたせいか、これまでのように予算規模の大小を評価の対象にするのではなく、どういう切り口で日本経済の再生を図るかにある。山や海、温泉などの自然環境、観光資源のすばらしさを基軸におきながらも、地域の持つ歴史、文化、人、それらの潜在的能力を掘り起こすことこそが魅力ある観光地づくりに必要不可欠な要素であると考えている。
そういう意味で佐賀県では、毎月ファミリーツーリズム研究会を開催し、国に先んじて未来を予見し、相田観光企画監の指導のもと、県内各地にその可能性の点を立ち上げ、線に育て上げているところであり、その成果は多くの方々が注目するところであり、日本中に佐賀県の存在を知らしめるものである。県と市町、関係団体が構築してきた人的ネットワークの強みは佐賀県観光が誇れるもののひとつだ。県職員と市町職員、市町職員間、そして宿泊施設や観光施設の交流は、時に仕事を超えて個人的でさえある。だからお互いがお互いに持つ力を超えて、すばらしい力を有する。
観光立県を真に実現できる一番有効な手段、自分はそれは県内各地に組織化されている観光協会などの民間組織をしっかりと育成することにあると思っている。行政だけは現場のエネルギーを掘り起こすことは難しく、地域に潜在する企画力、実践力を政策として生かしていくために観光協会などの民間組織をしっかりと育て上げることが急務と考える。県内の観光協会の多くは何らかの形で自治体からの支援を受けている。つまり、行政との接点を持っているが、ここには民間でしか持ち得ないノウハウや経験がストックされ、地域産業を横断的に結ぶ人脈もある。そして自由な発想や現場に通用する企画力も実践力も潜在をしている。行政がこの組織育成を重点的に行えば、トップダウン型、ボトムアップ型両方を存分に引き出せるのではと思っている。こういう点を意識して佐賀市、武雄市などでは行政から職員を派遣されているのだろう。
最もこれらの団体は民間の色合いが濃い組織であるが、なかには行政におんぶにだっこの組織もあれば、行政の施行業者的な体質を持った組織もある。地域により、組織の形態は様々である。
数年前から国土交通省や経済産業省では、国の予算を県、市町村を通さず地域の民間組織に対してダイレクトに支援する新たな手法が取り入れられている。小さな地域、小さな組織であっても意欲と能力さえあれば光が当たるようなボトムアップ型の政策は安直な陳情合戦や地域間の予算の取り合いが通用しない歓迎すべき時代にきたと感じている。
一方、佐賀県観光がファミリーツーリズム研究会を中心に広域的、横断的に活動の輪を広げつつあるなか、気になるのは実践者である民間組織の弱体化にある。特に観光協会や商工会などは、過疎化、高齢化によりその活動に地域間格差が大きくなっているのが現状であり、国が示した新しい政策に対してついてこれない組織があまりにも多すぎる。市町村合併が進み、自治体が広域化、拡大化した現在にあって地域の実践者として主役にならなければならない民間組織が弱体化していては、せっかくの政策が生かされないと心配をしている。
今の一番の課題は、このような組織の強化に誰がリーダーシップをとって育成をするのか。どこに弱体化の原因があるのか。問題点を解消させながら、しっかりと育成していくことが必要であると考えている。
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02:00
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2008年10月27日
温泉の季節
最近急に寒くなってきました。
もう10月末だからこのぐらい寒くてもちょうどいい。
椎葉山荘の川沿いも鹿島のスカイロードの街路樹も少しずつ紅葉に色づきはじめた。
自分は年中温泉に行くから他の人ほどではないけど、少し寒くなってきて温泉が恋しい季節になってきました。
昨日の昼は武雄温泉、夜は嬉野温泉大正屋の四季の湯。今日の夕方は嬉野温泉和多屋別荘の湯殿心晶。
ここ和多屋別荘の心晶のお風呂は、多分九州、全国でも有数の泉質とグレードがある。
価値観は人それぞれだから他人のことにいろいろ言えないがたまには飲み屋やパチンコで散財するぐらいなら
ここの温泉に入ってみてはとおすすめしたいぐらい。
昨日、今日と観光シーズンに入り、寒くなってきたせいか武雄温泉も嬉野温泉も以前よりお客さんが増えていた。
大正屋も和多屋別荘も全国の旅館250選に5年連続で選ばれる規模、設備とも嬉野温泉を代表する名旅館。
どちらも多くのお客さんがいらっしゃってにぎわっていた。
個人的には寒い時期はつらい面もあるが、もう少し寒くなって嬉野温泉に多くのお客さまがお越しいただくのを
期待している。
もう10月末だからこのぐらい寒くてもちょうどいい。
椎葉山荘の川沿いも鹿島のスカイロードの街路樹も少しずつ紅葉に色づきはじめた。
自分は年中温泉に行くから他の人ほどではないけど、少し寒くなってきて温泉が恋しい季節になってきました。
昨日の昼は武雄温泉、夜は嬉野温泉大正屋の四季の湯。今日の夕方は嬉野温泉和多屋別荘の湯殿心晶。
ここ和多屋別荘の心晶のお風呂は、多分九州、全国でも有数の泉質とグレードがある。
価値観は人それぞれだから他人のことにいろいろ言えないがたまには飲み屋やパチンコで散財するぐらいなら
ここの温泉に入ってみてはとおすすめしたいぐらい。
昨日、今日と観光シーズンに入り、寒くなってきたせいか武雄温泉も嬉野温泉も以前よりお客さんが増えていた。
大正屋も和多屋別荘も全国の旅館250選に5年連続で選ばれる規模、設備とも嬉野温泉を代表する名旅館。
どちらも多くのお客さんがいらっしゃってにぎわっていた。
個人的には寒い時期はつらい面もあるが、もう少し寒くなって嬉野温泉に多くのお客さまがお越しいただくのを
期待している。
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23:25
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2008年10月22日
〝現在の自分〝で勝負
「肩書きや過去の自分で勝負する人間にはなりたくない。」
人間無意識のうちに、肩書きや過去の成功・失敗、実績などを盾に、現在を語り、現在を生きている。
それは何も個人としてではなく、いろんな組織の中でも無意識に先輩・年上として、ただ過去の
年数や実績だけで、後輩や年下に対して同じ目線で取り組めていないことが多々ある。
自分も様々な場面でいろいろな人たちに出会い、話をさせていただく機会があるがややもすると
「過去の自分で勝負しているかも?」と振り返って思うときもある。
もちろん、現在の自分は過去からの延長で成り立っているわけだから、過去を省みることや
過去と同じことをやるのがいけないというわけではない。
作家やタレントなどは、一度売れ出すと肩書きや過去の自分、過去の蓄積が〝ブランド〟となって
作品や内容よりも〝名前〟で勝負できる立場にある。
一方、スポーツの世界では、肩書きや過去は戦ってくれない。戦うのはいつも〝現在の自分〟だ。
学生レベルなら伝統校に対しての〝名前負け〟もありうる。
しかし、オリンピックなど国際レベルの大会では肩書きや過去は通用しない。
いつも現在の自分を高めていかなければならないし、日々節制と研鑚を積み、努力を重ねることに
よって、〝現在の自分〟で勝ち抜いていかなければならない。
観光業も同様だ。
全国的に名が知られている。以前は多くのお客さんが来ていた。昔、○○○○が泊まりに来た。など
地域に誇りを持つのは素晴らしいことだが、現在の観光客の希望や動向には全く関係がない。
観光客に来てもらうためには、〝現在の自分〟〝現在の嬉野〟の魅力を高めていかねばならない。
将来を考えると決して楽観視ばかりもしていられない現代だが、自分の意志に対して誠実かつ素直に、
そしてまず目の前にある取り組むべきことに対して一生懸命、必死に、ひたむきに向かい合うことが
大切だと感じている。
いつも過去や立場、肩書きは関係ない。通用しない。〝肩書きのない世界〟で 頑張っていきたい。
人間無意識のうちに、肩書きや過去の成功・失敗、実績などを盾に、現在を語り、現在を生きている。
それは何も個人としてではなく、いろんな組織の中でも無意識に先輩・年上として、ただ過去の
年数や実績だけで、後輩や年下に対して同じ目線で取り組めていないことが多々ある。
自分も様々な場面でいろいろな人たちに出会い、話をさせていただく機会があるがややもすると
「過去の自分で勝負しているかも?」と振り返って思うときもある。
もちろん、現在の自分は過去からの延長で成り立っているわけだから、過去を省みることや
過去と同じことをやるのがいけないというわけではない。
作家やタレントなどは、一度売れ出すと肩書きや過去の自分、過去の蓄積が〝ブランド〟となって
作品や内容よりも〝名前〟で勝負できる立場にある。
一方、スポーツの世界では、肩書きや過去は戦ってくれない。戦うのはいつも〝現在の自分〟だ。
学生レベルなら伝統校に対しての〝名前負け〟もありうる。
しかし、オリンピックなど国際レベルの大会では肩書きや過去は通用しない。
いつも現在の自分を高めていかなければならないし、日々節制と研鑚を積み、努力を重ねることに
よって、〝現在の自分〟で勝ち抜いていかなければならない。
観光業も同様だ。
全国的に名が知られている。以前は多くのお客さんが来ていた。昔、○○○○が泊まりに来た。など
地域に誇りを持つのは素晴らしいことだが、現在の観光客の希望や動向には全く関係がない。
観光客に来てもらうためには、〝現在の自分〟〝現在の嬉野〟の魅力を高めていかねばならない。
将来を考えると決して楽観視ばかりもしていられない現代だが、自分の意志に対して誠実かつ素直に、
そしてまず目の前にある取り組むべきことに対して一生懸命、必死に、ひたむきに向かい合うことが
大切だと感じている。
いつも過去や立場、肩書きは関係ない。通用しない。〝肩書きのない世界〟で 頑張っていきたい。
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22:55
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2008年10月16日
美肌の日
昨日は第3水曜日。嬉野温泉では美肌の日ということで温泉入浴料半額。
仕事が終わって週末の県民体育大会のための練習に顔出して消防団の
点検に行ってたら遅くなった。
けどどうしても入りたかったので立ち寄り湯を遅くまで入れてくれる大正屋に
行ったら知り合いの方に会って顔パス。嬉しかった。神は見捨てなかった。
こんなことがいつもあったら行きづらくなるのでイヤだが予想外だと嬉しい。
ここ数日武雄、古湯、嬉野と九州三湯じゃなくて佐賀三湯を制覇。
お湯の温度は異なるが無色透明でアルカリ性のというのが共通。
それぞれに特徴があって面白いし、どこも肌に効果がある。
昨日も肌に効果があったのが実感できる。
きれいな人はきれいに、それなりの人はそれなり以上に
これからの季節、佐賀三湯で美肌の湯巡りはいかがですか。
ご覧くださっている皆さま嬉野温泉へどうぞお越しください。
仕事が終わって週末の県民体育大会のための練習に顔出して消防団の
点検に行ってたら遅くなった。
けどどうしても入りたかったので立ち寄り湯を遅くまで入れてくれる大正屋に
行ったら知り合いの方に会って顔パス。嬉しかった。神は見捨てなかった。
こんなことがいつもあったら行きづらくなるのでイヤだが予想外だと嬉しい。
ここ数日武雄、古湯、嬉野と九州三湯じゃなくて佐賀三湯を制覇。
お湯の温度は異なるが無色透明でアルカリ性のというのが共通。
それぞれに特徴があって面白いし、どこも肌に効果がある。
昨日も肌に効果があったのが実感できる。
きれいな人はきれいに、それなりの人はそれなり以上に
これからの季節、佐賀三湯で美肌の湯巡りはいかがですか。
ご覧くださっている皆さま嬉野温泉へどうぞお越しください。
Posted by 嬉野温泉 at
01:45
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2008年10月16日
名刺
最近名刺を作り直した。
この夏部署名が変わったのをそのままにしていたこともあって2種類作った。
大きく変わったところがタイトル。
今までは佐賀嬉野温泉としていたところを九州嬉野温泉に変更した。
観光客の立場からすれば県境は意識しないし、関係ない。
そういう見地から変更した。
先日の福岡での観光説明会で開催前に佐賀県観光連盟のK専務から
「佐賀県の嬉野温泉と言わんば」と声をかけてもらったがこれからは佐賀では
なく、九州という表現がいいのではと思って作成した。
しかし、このK専務。事務所ではその存在感で後方から職員の方々を威圧する
不良中年にみえる。しかし都市圏や海外との接点を拡大しようと時に最前線で
陣頭指揮を執っておられる佐賀県観光の司令塔だ。
嬉野温泉の観光客誘致には日頃よりご尽力され、声もかけていただく。
K専務をはじめ佐賀県の観光関係者にはすばらしい方々が多くおられる。
質の高い方々と接していくには質の高い情報が必要だ。
観光説明会を意識して作った今度の名刺約1万円。
嬉野の魅力をどう見せられるかにこだわって作った。
今後、この名刺に負けない質の高い情報を持っていたいと思っている。。
この夏部署名が変わったのをそのままにしていたこともあって2種類作った。
大きく変わったところがタイトル。
今までは佐賀嬉野温泉としていたところを九州嬉野温泉に変更した。
観光客の立場からすれば県境は意識しないし、関係ない。
そういう見地から変更した。
先日の福岡での観光説明会で開催前に佐賀県観光連盟のK専務から
「佐賀県の嬉野温泉と言わんば」と声をかけてもらったがこれからは佐賀では
なく、九州という表現がいいのではと思って作成した。
しかし、このK専務。事務所ではその存在感で後方から職員の方々を威圧する
不良中年にみえる。しかし都市圏や海外との接点を拡大しようと時に最前線で
陣頭指揮を執っておられる佐賀県観光の司令塔だ。
嬉野温泉の観光客誘致には日頃よりご尽力され、声もかけていただく。
K専務をはじめ佐賀県の観光関係者にはすばらしい方々が多くおられる。
質の高い方々と接していくには質の高い情報が必要だ。
観光説明会を意識して作った今度の名刺約1万円。
嬉野の魅力をどう見せられるかにこだわって作った。
今後、この名刺に負けない質の高い情報を持っていたいと思っている。。
Posted by 嬉野温泉 at
01:01
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2008年10月14日
唐津城築城400年記念「唐津城秋の夕べ」
昨日は朝からいい天気だったので布団を干して洗濯して風呂掃除して昼はいい1日を過ごして
夜は一筆!さが便り(おまけ)の記事で唐津城築城400年記念「唐津城秋の夕べ」があるのを
思い出して一人唐津に出発。
唐津に出かけるのは約1年ぶりになるが唐津城や落ち着いたまちなみがいつ来ても気持ちいい。
唐津城の上り口で唐津市観光課Mさんに遭遇。
唐津城階段や上段に竹灯篭を並べてあり、幻想的な雰囲気がいい。
キャンドルの火があまり消えていないようでよかった。
多くの人々のなかで目立たなかったけれどもその都度火を灯しておられた方々のおかげだ。感謝。
上に行くと観月茶会が催され、クラシックの夕べもあっていて多くの人々で賑わっていた。
今日は天守閣が無料開放されていて最上階から見る唐津の夜景もよかった。大満足。
唐津市観光課Yさんによると普段は夜開放しないため見られない人生初とのこと。貴重な体験だった。
イベントや催し物は、どれだけの人が集まったかということよりも、地域の人々がどうかかわったか
ということが大切であると思っているし、他の市町に出かけたときもそういうところに視点をおいて
見るようにしている。今日のイベントは行政主体のようであったが唐津のいいもの、地域の宝を
見せてもらった感じですごくよかった。
地元の唐津の人たちも多かったようだが参加してくれた子供たちから大人、お年寄りまで記憶の
なかに自分たちの地域の姿、地域の宝というものがしみこんでいくような気がして羨ましかった。
唐津市の坂井市長は市議会のなかで宿泊客数3割増、佐賀県1位を目指すと表明されているが、
市長自身ホテルマンだったためか観光には熱心のようで、唐津の観光素材、地域の底力をもって
すれば大きな可能性を感じさせられる。
美しく豊かな海、虹の松原、歴史あるまちなみ、やきもの、唐津くんち、食べ物など有形、無形の素材に
恵まれ、唐津に温泉があったらと嘆く人もおられ「天はニ物を与えず」ということわざもあるが唐津には
いくつも与えすぎたため温泉までは与えてくれなかったのだろう。
楽しく過ごしたいときは誰かいてくれた方がいいが、何かを感じたり、何かを吸収したいときには一人の
方がいいときもある。昨日は一人でいろいろと感じとることができた。一人でよかった。
帰り際、今度は唐津くんちにもと言ってくれた唐津市観光課Yさん。
残念ながら行けそうにないが今日はいいものを見せてもらったので皆さんに感謝しつつ唐津を後にした。
自分の居場所はあまりなく、暗中模索の日々を送り、逆風の中にあったとしても一筋の希望を自らの
使命感に託し、頑張っていきたい。
夜は一筆!さが便り(おまけ)の記事で唐津城築城400年記念「唐津城秋の夕べ」があるのを
思い出して一人唐津に出発。
唐津に出かけるのは約1年ぶりになるが唐津城や落ち着いたまちなみがいつ来ても気持ちいい。
唐津城の上り口で唐津市観光課Mさんに遭遇。
唐津城階段や上段に竹灯篭を並べてあり、幻想的な雰囲気がいい。
キャンドルの火があまり消えていないようでよかった。
多くの人々のなかで目立たなかったけれどもその都度火を灯しておられた方々のおかげだ。感謝。
上に行くと観月茶会が催され、クラシックの夕べもあっていて多くの人々で賑わっていた。
今日は天守閣が無料開放されていて最上階から見る唐津の夜景もよかった。大満足。
唐津市観光課Yさんによると普段は夜開放しないため見られない人生初とのこと。貴重な体験だった。
イベントや催し物は、どれだけの人が集まったかということよりも、地域の人々がどうかかわったか
ということが大切であると思っているし、他の市町に出かけたときもそういうところに視点をおいて
見るようにしている。今日のイベントは行政主体のようであったが唐津のいいもの、地域の宝を
見せてもらった感じですごくよかった。
地元の唐津の人たちも多かったようだが参加してくれた子供たちから大人、お年寄りまで記憶の
なかに自分たちの地域の姿、地域の宝というものがしみこんでいくような気がして羨ましかった。
唐津市の坂井市長は市議会のなかで宿泊客数3割増、佐賀県1位を目指すと表明されているが、
市長自身ホテルマンだったためか観光には熱心のようで、唐津の観光素材、地域の底力をもって
すれば大きな可能性を感じさせられる。
美しく豊かな海、虹の松原、歴史あるまちなみ、やきもの、唐津くんち、食べ物など有形、無形の素材に
恵まれ、唐津に温泉があったらと嘆く人もおられ「天はニ物を与えず」ということわざもあるが唐津には
いくつも与えすぎたため温泉までは与えてくれなかったのだろう。
楽しく過ごしたいときは誰かいてくれた方がいいが、何かを感じたり、何かを吸収したいときには一人の
方がいいときもある。昨日は一人でいろいろと感じとることができた。一人でよかった。
帰り際、今度は唐津くんちにもと言ってくれた唐津市観光課Yさん。
残念ながら行けそうにないが今日はいいものを見せてもらったので皆さんに感謝しつつ唐津を後にした。
自分の居場所はあまりなく、暗中模索の日々を送り、逆風の中にあったとしても一筋の希望を自らの
使命感に託し、頑張っていきたい。
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07:55
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2008年10月13日
古湯温泉
昨日の武雄温泉に引き続き、今日は佐賀市富士町にある古湯温泉に行った。
古湯温泉のある富士町や三瀬村など県北部エリアは観光面では未開拓な位置にあったと
思うが数年前に佐賀市と合併したこともあり、佐賀市が本腰を入れて磨き上げを行い、近年
はぬる湯や三瀬高原をキーワードに注目されている地域である。
特に古湯温泉は、佐賀市の秀島市長が就任当初「黒川温泉のようなストーリーを作る」と明言
されたように観光カリスマで黒川温泉新明館や山みず木の経営者後藤哲也氏の指導を受け
植林などの景観づくりに努める一方、温泉ではぬる湯サミットを開催するなどお湯の特徴も
PRされている。昨年のにっぽんの温泉100選では武雄温泉をさしおいて87位にランクされる
など関係者からの評価も高まってきている。
今日は古湯温泉に行くつもりは全くなかったがサッカー天皇杯のサガン鳥栖の試合を見るため
電車で佐賀に行って佐賀駅で行われている「鉄道の日」in佐賀駅に参加されてる佐賀県観光の
ムードメーカーでとっても元気な神埼市のSさんと鹿島市のMさんコンビに顔を出してから会場に
行こうとしてたところ肥前鹿島駅に乗り遅れ、肥前山口駅で乗り遅れ、佐賀まで車で来てしまった
のでせっかく車で佐賀まで来たので試合終了後、古湯温泉まで足を伸ばしてみた。
ここの温泉も何度か入るが現在、ぬる湯で売り出し中とはいえこの時期になると源泉33℃という
のは寒く、これからの時期は入浴客にとっては厳しい。同じぬる湯でも炭酸泉で売り出す長湯温泉
のように長く入っているにつれ冬でも体じゅうがポカポカあったまってくるようならまだいい。
客人としての立場で言わせてもらうとぬる湯で売り出していて夏場はぬる湯のままだけれども寒く
なったてきたら沸かしますからあったまりますという説明ではいい加減すぎて納得がいかない。
温泉の質は地中の養分がどれだけ溶け出しているかによって決まる。
地中の養分は、流れる水脈の温度が高ければ高いほど地中に多く溶け出す。
よって高温の温泉ほど成分が多く、泉質がいいと言われている。
草津、箱根、有馬、道後、別府、雲仙ついでに武雄、嬉野。
名湯と呼ばれてきた温泉地のお湯は全部熱い。
一方、今流行りの温泉地、由布院、黒川を名湯と呼ぶ人はいない。
温泉の温度や泉質ばかりでなく、歴史的・文化的蓄積がないのもその理由だろう。
この夏ループ橋も開通し、注目を浴びる古湯温泉はこれからの数年間が勝負。
交通アクセスの向上は大量誘客のチャンスと通過点になるピンチの表裏一体。
福岡都市圏からいつでも行き帰りできる位置にある古湯温泉。
佐賀市行政の政策力と実践力を押し上げる地域のまとまりと地域の魅力づくりに
佐賀県観光のひとつのモデルとして大きな期待を寄せながら古湯温泉の活性化に
注目していきたい。
古湯温泉のある富士町や三瀬村など県北部エリアは観光面では未開拓な位置にあったと
思うが数年前に佐賀市と合併したこともあり、佐賀市が本腰を入れて磨き上げを行い、近年
はぬる湯や三瀬高原をキーワードに注目されている地域である。
特に古湯温泉は、佐賀市の秀島市長が就任当初「黒川温泉のようなストーリーを作る」と明言
されたように観光カリスマで黒川温泉新明館や山みず木の経営者後藤哲也氏の指導を受け
植林などの景観づくりに努める一方、温泉ではぬる湯サミットを開催するなどお湯の特徴も
PRされている。昨年のにっぽんの温泉100選では武雄温泉をさしおいて87位にランクされる
など関係者からの評価も高まってきている。
今日は古湯温泉に行くつもりは全くなかったがサッカー天皇杯のサガン鳥栖の試合を見るため
電車で佐賀に行って佐賀駅で行われている「鉄道の日」in佐賀駅に参加されてる佐賀県観光の
ムードメーカーでとっても元気な神埼市のSさんと鹿島市のMさんコンビに顔を出してから会場に
行こうとしてたところ肥前鹿島駅に乗り遅れ、肥前山口駅で乗り遅れ、佐賀まで車で来てしまった
のでせっかく車で佐賀まで来たので試合終了後、古湯温泉まで足を伸ばしてみた。
ここの温泉も何度か入るが現在、ぬる湯で売り出し中とはいえこの時期になると源泉33℃という
のは寒く、これからの時期は入浴客にとっては厳しい。同じぬる湯でも炭酸泉で売り出す長湯温泉
のように長く入っているにつれ冬でも体じゅうがポカポカあったまってくるようならまだいい。
客人としての立場で言わせてもらうとぬる湯で売り出していて夏場はぬる湯のままだけれども寒く
なったてきたら沸かしますからあったまりますという説明ではいい加減すぎて納得がいかない。
温泉の質は地中の養分がどれだけ溶け出しているかによって決まる。
地中の養分は、流れる水脈の温度が高ければ高いほど地中に多く溶け出す。
よって高温の温泉ほど成分が多く、泉質がいいと言われている。
草津、箱根、有馬、道後、別府、雲仙ついでに武雄、嬉野。
名湯と呼ばれてきた温泉地のお湯は全部熱い。
一方、今流行りの温泉地、由布院、黒川を名湯と呼ぶ人はいない。
温泉の温度や泉質ばかりでなく、歴史的・文化的蓄積がないのもその理由だろう。
この夏ループ橋も開通し、注目を浴びる古湯温泉はこれからの数年間が勝負。
交通アクセスの向上は大量誘客のチャンスと通過点になるピンチの表裏一体。
福岡都市圏からいつでも行き帰りできる位置にある古湯温泉。
佐賀市行政の政策力と実践力を押し上げる地域のまとまりと地域の魅力づくりに
佐賀県観光のひとつのモデルとして大きな期待を寄せながら古湯温泉の活性化に
注目していきたい。
Posted by 嬉野温泉 at
01:25
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2008年10月12日
武雄温泉共同浴場
武雄温泉に行った。
武雄温泉楼門の公衆浴場には嬉野から近いということもありよく出かける。
このブログを見ているヤツが自分が武雄温泉を嫌っているとか樋渡市長に
挑戦しているのかと聞いてきたがとんでもない。
武雄温泉には、一週間に1回は行くから武雄市民より多いかも知れない。
道後温泉とともに国の重要文化財に指定されている武雄温泉楼門は共同浴場
として由布院の下ん湯や長湯温泉の御前湯などよりはるかに風情があり、
歴史ある温泉地としての佇まいを感じさせる。
昔、地域における情報交流は今とは比較にならないほど限られていたが、
それだけに自分たちの地域にある宝をしっかりと大事にしてきた。
温泉や歴史のある建物は地域の自慢でもあり誇りでもあった。
しかし高度経済成長や時代の流れにおされて誇りを忘れた結果、歴史ある建物は
壊され、地域に縁のないものをつくってしまった。このことを悔いるべきだ。
温泉手形や露天風呂、足湯など人気のあるしくみや形を真似るのは簡単だし、
喜ぶお客さんも多い。
黒川温泉のように目覚しい発展を遂げた地域もあり、目に見える成果もある。
しかし目に見える成果を真似るだけでは誇りにならない。文化的な蓄積がない。
今、各地で起きている地域資源活用の動きは地域の誇りを取り戻す動きでもあり、
国においても経済産業省により、具体的な政策が打ち出されている。
これからは人々の心や関心が目に見えるものから目に見えない価値へと向かって
いるように感じている。
お客さんのニーズにあわせ、お客さんを喜ばせるためにと変化を続けてきた温泉地は
お客さんに一生懸命だった。しかしそれでは足りなかったということを実感している。
これから必要なのは、地域の誇り、思い入れやあるべき姿、想像力なのではないか。
建築物だけでなく地域の風景についても然りだ。
武雄温泉にはこれらの誇りが集積した立派な共同浴場がある。
共同浴場は単に温泉がある銭湯としての役割ではなく、複合的な癒しの場であり、
文化が生まれ人間が育つところだ。
地域の人々が大事にし、誇りにしているものに観光客が憧れ訪れる。
今の観光客が求めているものは、地域に根付く日常の生活文化とそれらが醸し出す
総合的な癒しの場なのではないだろうか。
これからは観光客を呼び込む仕掛けよりも地域の暮らしぶりが求められる。
今嬉野でも共同浴場「古湯」の再建が進められている。
再建にあたっては温泉文化を長い間大切に守ってこられた武雄温泉の取り組みに学ぶ
ところも多い。
にっぽんの温泉100選では嬉野温泉が19位、古湯温泉が87位で武雄温泉はランク外。
持っている素材や温泉文化の集積、樋渡市長を中心とする市行政の努力などを考慮すると
不本意でこんなもんじゃないだろうというのが自分の意見。
武雄温泉の観光関係者にはすばらしい財産を持っていることを再認識しながら皆で力を
あわせ官民一体となって協力して発展していかれることを切に願っている。
今各温泉地で起きている地域の魅力見直しの動きは地域で財産を共有し皆で大切に守る
ことと地域で人を育んでいくことにつながる。地域の遺伝子をどう未来につなげていくか。
今の日本の税制度では金儲けして財産を残してもあまり子孫のためにならないらしい。
子孫の未来を考えるならばすばらしい地域を残すことこそが重要だ。
まだまだ若輩者で子孫を残す立場にはないがいつも遠くを見つめて頑張っていきたい。
武雄温泉楼門の公衆浴場には嬉野から近いということもありよく出かける。
このブログを見ているヤツが自分が武雄温泉を嫌っているとか樋渡市長に
挑戦しているのかと聞いてきたがとんでもない。
武雄温泉には、一週間に1回は行くから武雄市民より多いかも知れない。
道後温泉とともに国の重要文化財に指定されている武雄温泉楼門は共同浴場
として由布院の下ん湯や長湯温泉の御前湯などよりはるかに風情があり、
歴史ある温泉地としての佇まいを感じさせる。
昔、地域における情報交流は今とは比較にならないほど限られていたが、
それだけに自分たちの地域にある宝をしっかりと大事にしてきた。
温泉や歴史のある建物は地域の自慢でもあり誇りでもあった。
しかし高度経済成長や時代の流れにおされて誇りを忘れた結果、歴史ある建物は
壊され、地域に縁のないものをつくってしまった。このことを悔いるべきだ。
温泉手形や露天風呂、足湯など人気のあるしくみや形を真似るのは簡単だし、
喜ぶお客さんも多い。
黒川温泉のように目覚しい発展を遂げた地域もあり、目に見える成果もある。
しかし目に見える成果を真似るだけでは誇りにならない。文化的な蓄積がない。
今、各地で起きている地域資源活用の動きは地域の誇りを取り戻す動きでもあり、
国においても経済産業省により、具体的な政策が打ち出されている。
これからは人々の心や関心が目に見えるものから目に見えない価値へと向かって
いるように感じている。
お客さんのニーズにあわせ、お客さんを喜ばせるためにと変化を続けてきた温泉地は
お客さんに一生懸命だった。しかしそれでは足りなかったということを実感している。
これから必要なのは、地域の誇り、思い入れやあるべき姿、想像力なのではないか。
建築物だけでなく地域の風景についても然りだ。
武雄温泉にはこれらの誇りが集積した立派な共同浴場がある。
共同浴場は単に温泉がある銭湯としての役割ではなく、複合的な癒しの場であり、
文化が生まれ人間が育つところだ。
地域の人々が大事にし、誇りにしているものに観光客が憧れ訪れる。
今の観光客が求めているものは、地域に根付く日常の生活文化とそれらが醸し出す
総合的な癒しの場なのではないだろうか。
これからは観光客を呼び込む仕掛けよりも地域の暮らしぶりが求められる。
今嬉野でも共同浴場「古湯」の再建が進められている。
再建にあたっては温泉文化を長い間大切に守ってこられた武雄温泉の取り組みに学ぶ
ところも多い。
にっぽんの温泉100選では嬉野温泉が19位、古湯温泉が87位で武雄温泉はランク外。
持っている素材や温泉文化の集積、樋渡市長を中心とする市行政の努力などを考慮すると
不本意でこんなもんじゃないだろうというのが自分の意見。
武雄温泉の観光関係者にはすばらしい財産を持っていることを再認識しながら皆で力を
あわせ官民一体となって協力して発展していかれることを切に願っている。
今各温泉地で起きている地域の魅力見直しの動きは地域で財産を共有し皆で大切に守る
ことと地域で人を育んでいくことにつながる。地域の遺伝子をどう未来につなげていくか。
今の日本の税制度では金儲けして財産を残してもあまり子孫のためにならないらしい。
子孫の未来を考えるならばすばらしい地域を残すことこそが重要だ。
まだまだ若輩者で子孫を残す立場にはないがいつも遠くを見つめて頑張っていきたい。
Posted by 嬉野温泉 at
02:10
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2008年10月11日
鬼塚勝也さん
昨日は福岡都市圏の観光客誘致を図るため、旅行業者やマスコミの方々を招いての佐賀県観光説明会が福岡で行われ参加してきた。
前日までにできる限りの準備をしていこうと内容を確認し、名刺を作り直し、髪を切り、クリーニングも取ってきてたけど、朝から疲れと眠気で体調がいまいち、精神面もちょっとイライラしてた。
佐賀県や嬉野温泉にとって福岡は、全体の観光客の3割以上を超える最大のお客さまであるとともに九州エリアの情報発信の拠点として重要な位置にある。
午後からの開催だったので高速バスに乗り、昼過ぎに福岡天神に到着。
集合時間まで少し時間があったため親交のある鬼塚勝也さんに会いに行った。
鬼塚さんは、プロボクシング元世界チャンピオンでストイックな姿勢と類い希な精神力で若い女性ファンを中心に熱狂的な支持を受け、引退して10年以上経った今なお知名度も高く、辰吉丈一郎選手とともにボクシング界ではカリスマ的な存在だ。
現在は、TBSのテレビ解説者として内藤選手や亀田選手の試合を担当している。
そんな鬼塚さんは福岡市在住で毎年必ず嬉野に来てくださっていて、この夏も来られたので約2ヶ月ぶりの再会となった。
自分は話すことは下手で滑舌も良くないが鬼塚さんと近況報告をして福岡に観光説明会に来たことを話すと「そんな話し方で説明とかちゃんとできるのか」と心配されたので「他の人と話すリズムがちがうのでかえって聞いている人の耳に残るんですよ」と言ったら妙に納得してもらった。短時間ではあったが「また嬉野に行くから」と言ってもらい世界一のパワーをいただいた。
午後4時から開催された観光説明会では、説明するほとんどの方が前日までの東京、大阪地区の説明会に参加されていたこともあり、段取りや要領を十分把握されていたが自分は福岡地区のみの参加であったためちょっと戸惑った部分もあり、持ち時間の3分間の使い方、話のまとめ方に不安があった。説明資料も自分がもらっていた分とは変わっていた。少し焦った。
限られた時間なので嬉野の観光素材である温泉やお茶、湯どうふ、やきもの、日本酒、塩田津といったものを全部話すと時間的に厳しくなるし、相手側も飽きてくる。もともと器用なことはできないし手際の良さより、内容を絞って印象づけで勝負していこうと決めた。
内容的には旅行会社やマスコミが飛びつくような新たな施設のオープンなど目新しいものはないので最初に鬼塚さんとの会話を披露して嬉野の売りである美肌の湯、宿泊施設、温泉湯どうふについて話をした。説明会の目的である観光素材の説明という点では拙く、不十分で反省もしているが福岡地区の旅行業界における嬉野温泉とのつながりや鬼塚さんの知名度は絶大でその後に行われた意見交換会でも話題になり、お互いの印象づけという点では十分な効果があったと思う。
人間何が役に立つのかわからない。
髪を切ったり、名刺を作り直したり、鬼塚さんとの会話も観光素材の説明には全く関係がない。
これが直接役に立ったとは思わないが、これがなかったらできなかったこともあると思う。
鬼塚さんは世界チャンピオンになり、5度の防衛を果たしたが世界中の猛者が自分を狙ってくる世界の頂点レベルでの勝負は厳しく、その多くが接戦、ギリギリで勝ち残ってきた。
それを支えたのがオーバーワ-クを心配されるほど異常ともいえるトレーニングと引き出しの多さ。
世界レベルでは自分より身体的能力も高い選手が多く存在するなかで自分と向き合い、厳しいせめぎあいを勝ちに繋げてきた秘訣がそこにある。
世界タイトルマッチでは派手なノックアウトは少なく、顔を腫らした接戦も多く、時にマスコミから激しいバッシングを受けながらも微動だにせず、勝つためにいろんな角度から自分を見つめ、勝つための引き出しを増やし、自分を高めてきた。
こういった姿勢は自分も学ぶところが多い。
表現力や器用さ、要領が良くなくても、思いや姿勢、気持ちが瀬戸際で自分を救ってくれた。
誰も気づかないような小さなこと、意味のないようなことに意味を持たせてやっていく。
そうすることによって幅が広がり、引出しも増えてくる。
そんな思いがうまく言葉にならないもどかしさはあるが、これからもいろんな角度から物事見つめ引き出しを増やし、自分に足りない部分を埋めていきたい。
前日までにできる限りの準備をしていこうと内容を確認し、名刺を作り直し、髪を切り、クリーニングも取ってきてたけど、朝から疲れと眠気で体調がいまいち、精神面もちょっとイライラしてた。
佐賀県や嬉野温泉にとって福岡は、全体の観光客の3割以上を超える最大のお客さまであるとともに九州エリアの情報発信の拠点として重要な位置にある。
午後からの開催だったので高速バスに乗り、昼過ぎに福岡天神に到着。
集合時間まで少し時間があったため親交のある鬼塚勝也さんに会いに行った。
鬼塚さんは、プロボクシング元世界チャンピオンでストイックな姿勢と類い希な精神力で若い女性ファンを中心に熱狂的な支持を受け、引退して10年以上経った今なお知名度も高く、辰吉丈一郎選手とともにボクシング界ではカリスマ的な存在だ。
現在は、TBSのテレビ解説者として内藤選手や亀田選手の試合を担当している。
そんな鬼塚さんは福岡市在住で毎年必ず嬉野に来てくださっていて、この夏も来られたので約2ヶ月ぶりの再会となった。
自分は話すことは下手で滑舌も良くないが鬼塚さんと近況報告をして福岡に観光説明会に来たことを話すと「そんな話し方で説明とかちゃんとできるのか」と心配されたので「他の人と話すリズムがちがうのでかえって聞いている人の耳に残るんですよ」と言ったら妙に納得してもらった。短時間ではあったが「また嬉野に行くから」と言ってもらい世界一のパワーをいただいた。
午後4時から開催された観光説明会では、説明するほとんどの方が前日までの東京、大阪地区の説明会に参加されていたこともあり、段取りや要領を十分把握されていたが自分は福岡地区のみの参加であったためちょっと戸惑った部分もあり、持ち時間の3分間の使い方、話のまとめ方に不安があった。説明資料も自分がもらっていた分とは変わっていた。少し焦った。
限られた時間なので嬉野の観光素材である温泉やお茶、湯どうふ、やきもの、日本酒、塩田津といったものを全部話すと時間的に厳しくなるし、相手側も飽きてくる。もともと器用なことはできないし手際の良さより、内容を絞って印象づけで勝負していこうと決めた。
内容的には旅行会社やマスコミが飛びつくような新たな施設のオープンなど目新しいものはないので最初に鬼塚さんとの会話を披露して嬉野の売りである美肌の湯、宿泊施設、温泉湯どうふについて話をした。説明会の目的である観光素材の説明という点では拙く、不十分で反省もしているが福岡地区の旅行業界における嬉野温泉とのつながりや鬼塚さんの知名度は絶大でその後に行われた意見交換会でも話題になり、お互いの印象づけという点では十分な効果があったと思う。
人間何が役に立つのかわからない。
髪を切ったり、名刺を作り直したり、鬼塚さんとの会話も観光素材の説明には全く関係がない。
これが直接役に立ったとは思わないが、これがなかったらできなかったこともあると思う。
鬼塚さんは世界チャンピオンになり、5度の防衛を果たしたが世界中の猛者が自分を狙ってくる世界の頂点レベルでの勝負は厳しく、その多くが接戦、ギリギリで勝ち残ってきた。
それを支えたのがオーバーワ-クを心配されるほど異常ともいえるトレーニングと引き出しの多さ。
世界レベルでは自分より身体的能力も高い選手が多く存在するなかで自分と向き合い、厳しいせめぎあいを勝ちに繋げてきた秘訣がそこにある。
世界タイトルマッチでは派手なノックアウトは少なく、顔を腫らした接戦も多く、時にマスコミから激しいバッシングを受けながらも微動だにせず、勝つためにいろんな角度から自分を見つめ、勝つための引き出しを増やし、自分を高めてきた。
こういった姿勢は自分も学ぶところが多い。
表現力や器用さ、要領が良くなくても、思いや姿勢、気持ちが瀬戸際で自分を救ってくれた。
誰も気づかないような小さなこと、意味のないようなことに意味を持たせてやっていく。
そうすることによって幅が広がり、引出しも増えてくる。
そんな思いがうまく言葉にならないもどかしさはあるが、これからもいろんな角度から物事見つめ引き出しを増やし、自分に足りない部分を埋めていきたい。
Posted by 嬉野温泉 at
15:27
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2008年10月09日
大正屋
大正屋は嬉野温泉のほぼ中心部にある温泉旅館。
皇居の基本設計を手がけた吉村順三氏の設計による設備面の充実もさることながら
来月初め海を渡ってオランダで披露される料理、従業員さんのいきいきとした接客も評価が高い。
格式、伝統、建築、接客、サービス全てにおいて文句のでない嬉野きっての老舗旅館。
以前宿泊させてもらったことがあり、同日に由布院御三家と呼ばれる全国に名の知れた某旅館にも
行ったが接客面で格段の差があり、由布院もこんなものかとかえって驚かされたことを思い出す。
バブル崩壊後、全国の温泉地、温泉旅館が価格競争の果てに値崩れをおこし、営業停止や規模縮小を
余儀なくされるなか高いブランドを保ち、椎葉山荘、清流とタイプの異なる施設を次々とオープンさせ、
規模拡大できるのもお客さんに対する姿勢や思いにある。
お客さんがいつでも気持ちよく入れるようにと空室でも花をいけておく、ご飯をお客さんが食べられる時間に
あわせて部屋ごとに炊く、漬物は自家製を使用する。など商品としては表にでない評価の対象となりにくい部分。
目に見えない部分で手を抜かない。お客さんに対する思いや姿勢がすばらしい。
旅館・ホテルのホームページは見る側にどう伝えられるかにあるが、ここのホームページをみると施設、料理など
宿の魅力が十分伝わり、機能面でも空室情報がグループ3旅館分確認できるなど伝えたい情報よりもお客さんの
欲しい情報が全て掲載されていて秀逸なつくりとなっている。
何を語るでもないが経営そのもの、お客さんへの思いや姿勢で宿のあるべき姿を教示してもらっている。
ここには由布院など他観光地の観光従事者の来訪も多いと聞く。ゆっくり過ごせるとともに学ぶこともが多い。
派手さはないが控えめで上品。何度でも足を運びたくなる名旅館だ。
皇居の基本設計を手がけた吉村順三氏の設計による設備面の充実もさることながら
来月初め海を渡ってオランダで披露される料理、従業員さんのいきいきとした接客も評価が高い。
格式、伝統、建築、接客、サービス全てにおいて文句のでない嬉野きっての老舗旅館。
以前宿泊させてもらったことがあり、同日に由布院御三家と呼ばれる全国に名の知れた某旅館にも
行ったが接客面で格段の差があり、由布院もこんなものかとかえって驚かされたことを思い出す。
バブル崩壊後、全国の温泉地、温泉旅館が価格競争の果てに値崩れをおこし、営業停止や規模縮小を
余儀なくされるなか高いブランドを保ち、椎葉山荘、清流とタイプの異なる施設を次々とオープンさせ、
規模拡大できるのもお客さんに対する姿勢や思いにある。
お客さんがいつでも気持ちよく入れるようにと空室でも花をいけておく、ご飯をお客さんが食べられる時間に
あわせて部屋ごとに炊く、漬物は自家製を使用する。など商品としては表にでない評価の対象となりにくい部分。
目に見えない部分で手を抜かない。お客さんに対する思いや姿勢がすばらしい。
旅館・ホテルのホームページは見る側にどう伝えられるかにあるが、ここのホームページをみると施設、料理など
宿の魅力が十分伝わり、機能面でも空室情報がグループ3旅館分確認できるなど伝えたい情報よりもお客さんの
欲しい情報が全て掲載されていて秀逸なつくりとなっている。
何を語るでもないが経営そのもの、お客さんへの思いや姿勢で宿のあるべき姿を教示してもらっている。
ここには由布院など他観光地の観光従事者の来訪も多いと聞く。ゆっくり過ごせるとともに学ぶこともが多い。
派手さはないが控えめで上品。何度でも足を運びたくなる名旅館だ。
Posted by 嬉野温泉 at
07:26
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2008年10月08日
臨界期
読書の秋と呼ぶように枕頭の書としておきたい名著に出会うことも多い。
先日書店で「モーツアルト天才の秘密」という本を見つけた。
クラシックには興味がなく、モーツアルトの曲もあまり知らない。
知っていることと言えば若くして亡くなったこと。相当な才能をもった人物だったことぐらいだ。
それでもたまたま見つけて手にとるようになったのは「天才」の文字だ。
自分のような凡人にとって天才とははるか遠くにある知らない世界だ。
人生には臨界期と呼ばれる年齢がいくつかあるという。
その年齢以下で経験をさせなければ、以後いかなる努力をしようとも身につかない技術や才能や可能性がある。
言いかえれば、ある時期が来るまでにスタートさせないと、決してその分野では一流の域に達することができないというものだ。
この臨界期は、人生にもそうだが、地域にも、政治にも、そして政策にもひとしく当てはまると思う。
例えば、あのとき全国植樹祭が嬉野で開催されていなかったら、もしあのとき高速道路嬉野インターチェンジが開通、開設されていなかったら。日本全体が好景気に沸き、嬉野温泉も好調な経済情勢のなか飛躍的な発展を遂げたあのとき。
嬉野の発展とともに成長してきた自分にとって臨界期を強く意識する出来事だ。
そして現在、嬉野市が誕生してもうすぐ3年になる。
昨年末には西九州新幹線の開通も決定した。
佐賀県ファミリーツーリズムも取り組みから3年が経つ。
そろそろ今が臨界期。
九重夢大吊橋オープンや東九州高速道路開通、国体開催に沸く大分県。大河ドラマや2011年鹿児島新幹線全線開通に沸くであろう南九州の目線を西九州、佐賀、長崎へと引き寄せるためにも観光導線の優位性も視野に入れながら魅力ある地域をつくらねばならない。
沈んだまま浮き上がる気配さえない経済状況のなかで、かつてない非常事態が迫っているとしたらそれらを瀬戸際で回復させる力になりたい。
先日書店で「モーツアルト天才の秘密」という本を見つけた。
クラシックには興味がなく、モーツアルトの曲もあまり知らない。
知っていることと言えば若くして亡くなったこと。相当な才能をもった人物だったことぐらいだ。
それでもたまたま見つけて手にとるようになったのは「天才」の文字だ。
自分のような凡人にとって天才とははるか遠くにある知らない世界だ。
人生には臨界期と呼ばれる年齢がいくつかあるという。
その年齢以下で経験をさせなければ、以後いかなる努力をしようとも身につかない技術や才能や可能性がある。
言いかえれば、ある時期が来るまでにスタートさせないと、決してその分野では一流の域に達することができないというものだ。
この臨界期は、人生にもそうだが、地域にも、政治にも、そして政策にもひとしく当てはまると思う。
例えば、あのとき全国植樹祭が嬉野で開催されていなかったら、もしあのとき高速道路嬉野インターチェンジが開通、開設されていなかったら。日本全体が好景気に沸き、嬉野温泉も好調な経済情勢のなか飛躍的な発展を遂げたあのとき。
嬉野の発展とともに成長してきた自分にとって臨界期を強く意識する出来事だ。
そして現在、嬉野市が誕生してもうすぐ3年になる。
昨年末には西九州新幹線の開通も決定した。
佐賀県ファミリーツーリズムも取り組みから3年が経つ。
そろそろ今が臨界期。
九重夢大吊橋オープンや東九州高速道路開通、国体開催に沸く大分県。大河ドラマや2011年鹿児島新幹線全線開通に沸くであろう南九州の目線を西九州、佐賀、長崎へと引き寄せるためにも観光導線の優位性も視野に入れながら魅力ある地域をつくらねばならない。
沈んだまま浮き上がる気配さえない経済状況のなかで、かつてない非常事態が迫っているとしたらそれらを瀬戸際で回復させる力になりたい。
Posted by 嬉野温泉 at
02:02
│Comments(0)
2008年10月07日
地産地消3
最近道の駅や農産物販売所が元気がいい。
旅行の行き先として道の駅を選び、旅館に泊まるケースも多いという。
新鮮な農産物や海産物を手頃な価格で消費者に提供し、地産地消の一つの拠点としての役割も果たしている。
消費者と生産者が混住してきた日本のよさ、地産地消の動きがもたらしてきた波及効果は、小さな地域社会の循環を取り戻すことにもなるという視点も失ってはならない。その実効性が道の駅や農産物販売所の繁盛ぶりで証明されている。
しかし地産地消にも弱点がある。地産地消は経済活動が地域内で円を閉じてしまうという弱点を持っている。
最近では、食育などの分野において「地産地消」を「知産知消」と読み替える、こう受け止める動きがあるという。
自分の知っている人がすばらしい産品を生み出してくれる。反対に自分が生み出したものを、自分の知っている人が喜んで食してくれる、消費してくれる。例えば嬉野の新茶を友人からいただく。鹿島や太良のみかんを知り合いから分けてもらう。
知っている人が作っているから安心であり、知っている人が食べてくれるから手を抜けない。
この信頼関係による経済交流が「知産知消」の妙味であり、経済活動が地域内にとどまらず広く全国へ、海を越えて世界中へと広がっていく。
「地産地消」もだが「知産知消」にも取り組むべき。
全国の人々、世界の人々に好まれ、信頼され、ご愛顧いただく。そんなものづくりをやらねばならない。
旅行の行き先として道の駅を選び、旅館に泊まるケースも多いという。
新鮮な農産物や海産物を手頃な価格で消費者に提供し、地産地消の一つの拠点としての役割も果たしている。
消費者と生産者が混住してきた日本のよさ、地産地消の動きがもたらしてきた波及効果は、小さな地域社会の循環を取り戻すことにもなるという視点も失ってはならない。その実効性が道の駅や農産物販売所の繁盛ぶりで証明されている。
しかし地産地消にも弱点がある。地産地消は経済活動が地域内で円を閉じてしまうという弱点を持っている。
最近では、食育などの分野において「地産地消」を「知産知消」と読み替える、こう受け止める動きがあるという。
自分の知っている人がすばらしい産品を生み出してくれる。反対に自分が生み出したものを、自分の知っている人が喜んで食してくれる、消費してくれる。例えば嬉野の新茶を友人からいただく。鹿島や太良のみかんを知り合いから分けてもらう。
知っている人が作っているから安心であり、知っている人が食べてくれるから手を抜けない。
この信頼関係による経済交流が「知産知消」の妙味であり、経済活動が地域内にとどまらず広く全国へ、海を越えて世界中へと広がっていく。
「地産地消」もだが「知産知消」にも取り組むべき。
全国の人々、世界の人々に好まれ、信頼され、ご愛顧いただく。そんなものづくりをやらねばならない。
Posted by 嬉野温泉 at
01:30
│Comments(0)
2008年10月06日
「時代を先読みする力」
最近一番意識している言葉は、「時代を先読みする力」。
観光にしても、商売にしても、農業にしても、企画力と実践力が求められているが、同時に時代を先読みする力が大切であると感じている。
あらゆるところでよくニーズに答えると言われる。行政もニーズに答えることに専念し、それがあたかもよいことのように思っているが自治体同士の競争、観光地間競争に勝ち抜くためにはニーズに答えるだけでは駄目だと思う。他と同じレベルを目指しても、財政力に乏しい地方では、そのニーズに答えるようになったときには、すでに他のところはもっと先に進んでいて、結局いつまでたっても後追いするだけで未来は決して開けてこない。
昨日、嬉野のお茶屋さんと茶業試験場の方に話を聞く機会があった。今の仕事に直接関係はないが観光は地域の総合力であり、観光の原点は「地域を誇る姿勢」から生まれ、あらゆるものを観光のもとにしていくべきと考える自分にとっては意義のあることだ。少し前まで健康志向と緑茶ブームに沸いた日本茶もペットボトル茶の普及や各職場でのお茶汲み廃止などで若年層を中心に急須を使わない消費スタイルが増え、全国的にリーフ(茶葉)茶の消費量も減少気味で茶業界も大きな岐路に立っている。こんなとき単純にリーフ茶が売れないからティ-パックやペットボトル茶に生産を切り替えればよいと考えるのはもってのほか。リーフ茶に比べてティパックやペットボトルのお茶は質的にも金額的にも格段に落ちる。それに伴い売上の著しい低下も予想できる。茶園管理や製造工程の見直し、製品の質や生産量など総合的に業として成り立つかといった経営面の分析も必要となる。ニーズに答えることが良いことばかりとは言えない。何より産地としてそのような質より量、低品質化の方向に向かった場合嬉野のような中山間地農業では平地で作業効率の整った他産地や外国とでは勝負にならない。
産地としてどうあるべきか。どうやって生きていくのか。必死に考えなくてはならない。
現実に困窮しているときに、それへの具体策なしに未来への願望や期待だけを語っても人は納得しない。
しかし目先の現実にばかり目を奪われて、将来の展望がないのも困る。
ニーズよりビジョンやトレンドが大事だと考える理由だ。
これは茶業に限らずまちづくり、観光地づくりにもひとしく当てはまる。
ニーズを後追いするのではなく、将来的にきっと求められてくるであろうと思われるものを想定してやっていく、時代的方向を見極めて取り組んでいく。これが重要であり、多くの人々が求めるニーズを先取りしたビジョンやトレンドが必要だ。
時代を見極めながら2手も3手も先を読む力が求められる。
魅力ある観光地づくりにしても、観光客誘致にしても、おいしい米や野菜、畜産でいい牛をつくるにしても先見性と挑戦する心が必要だと感じている。
これから自分が責任を持って仕事をし、皆さんと議論をし、時には喧嘩をし、成果を上げていきたい。
観光にしても、商売にしても、農業にしても、企画力と実践力が求められているが、同時に時代を先読みする力が大切であると感じている。
あらゆるところでよくニーズに答えると言われる。行政もニーズに答えることに専念し、それがあたかもよいことのように思っているが自治体同士の競争、観光地間競争に勝ち抜くためにはニーズに答えるだけでは駄目だと思う。他と同じレベルを目指しても、財政力に乏しい地方では、そのニーズに答えるようになったときには、すでに他のところはもっと先に進んでいて、結局いつまでたっても後追いするだけで未来は決して開けてこない。
昨日、嬉野のお茶屋さんと茶業試験場の方に話を聞く機会があった。今の仕事に直接関係はないが観光は地域の総合力であり、観光の原点は「地域を誇る姿勢」から生まれ、あらゆるものを観光のもとにしていくべきと考える自分にとっては意義のあることだ。少し前まで健康志向と緑茶ブームに沸いた日本茶もペットボトル茶の普及や各職場でのお茶汲み廃止などで若年層を中心に急須を使わない消費スタイルが増え、全国的にリーフ(茶葉)茶の消費量も減少気味で茶業界も大きな岐路に立っている。こんなとき単純にリーフ茶が売れないからティ-パックやペットボトル茶に生産を切り替えればよいと考えるのはもってのほか。リーフ茶に比べてティパックやペットボトルのお茶は質的にも金額的にも格段に落ちる。それに伴い売上の著しい低下も予想できる。茶園管理や製造工程の見直し、製品の質や生産量など総合的に業として成り立つかといった経営面の分析も必要となる。ニーズに答えることが良いことばかりとは言えない。何より産地としてそのような質より量、低品質化の方向に向かった場合嬉野のような中山間地農業では平地で作業効率の整った他産地や外国とでは勝負にならない。
産地としてどうあるべきか。どうやって生きていくのか。必死に考えなくてはならない。
現実に困窮しているときに、それへの具体策なしに未来への願望や期待だけを語っても人は納得しない。
しかし目先の現実にばかり目を奪われて、将来の展望がないのも困る。
ニーズよりビジョンやトレンドが大事だと考える理由だ。
これは茶業に限らずまちづくり、観光地づくりにもひとしく当てはまる。
ニーズを後追いするのではなく、将来的にきっと求められてくるであろうと思われるものを想定してやっていく、時代的方向を見極めて取り組んでいく。これが重要であり、多くの人々が求めるニーズを先取りしたビジョンやトレンドが必要だ。
時代を見極めながら2手も3手も先を読む力が求められる。
魅力ある観光地づくりにしても、観光客誘致にしても、おいしい米や野菜、畜産でいい牛をつくるにしても先見性と挑戦する心が必要だと感じている。
これから自分が責任を持って仕事をし、皆さんと議論をし、時には喧嘩をし、成果を上げていきたい。
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02:11
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2008年10月05日
平均値でなく異常値
昨日テレビでサガン鳥栖の特集と先日引退した清原選手の番組を見た。佐賀県民がサガン鳥栖のJ1昇格を願い、日本中が圧倒的な存在感でプロ野球をリードしてきた清原選手の引退報道や海を越えたアメリカでのイチロー選手や松井選手、松坂選手の活躍に注目をしている。どれほど多くの人々が彼らから夢を持つことのすばらしさ、挑戦する勇気の大切さを教えられたことか。イチロー選手が口にした「井の中の蛙 大海を知らず されど天空の高きを知る」という言葉。つまり、小さな地域、小さな舞台にいながらも、自分はいつも天が高い、空は高いんだということを忘れずにいた。高い志を忘れずに闘ってきたのだという彼の人生観にも同世代の人間として教えられるものがある。
今まさに政治や行政もそうでなければならない。住民に大きな夢と希望を与えられる政策展開が求められているのではないかと痛感している。昨今の日本には、社会保障問題、食の安全性、経済対策等、国政レベルでの課題は多くの国民の不安とするところであるが、災害に強い自然環境づくりにしろ、魅力ある地域づくりや地域コミュニティの形成にしろ、地方が担わなければならない課題は多く、それだけに国の再生は地方を抜きにしては語れない。
日本は、明治維新後140年経過したが、相変わらずのトップダウン型の行政システムであり、全国一律の発展のために画一的な作業が求められ、進められてきた結果、地方でも一番大事な企画、立案、提案力がそぎ落とされてしまった。
トップダウン型行政の中で求められていたものは平均値の力を持っている人材だった。ところがトップダウンからボトムアップの地方の力、地域力、地方の企画力、住民の熱意を政策に反映させていく、そのことが政策になっていく時代になってきた。
数年前から国においても国土交通省、経済産業省を中心に地方の企画提案力に期待する動きがあり、国から地方組織へのダイレクトな支援が行われ始めた。意欲と能力のある人材を持った地域には歓迎すべき時代にきている。
そういうときに求められ、必要となるのは平均値ではなく異常値。
ソニーの名誉会長、盛田氏は「我が社には、頭でっかちな平均値は要らない。異常値の集団セクトをつくれ」と檄をとばされたという。あの本田宗一郎さんや松下幸之助さんもずっと求めていたのは平均値の人材ではない。異常値、異分子が欲しい。異分子の持っているエネルギーのすばらしさというのを自分たちは知っている。前例に頼ることなく新しい分野を開拓していくためには異常値を持った人間でないと、これからの21世紀は乗り切ることができないのではないかということを、お二人とも著書のなかで書かれている。この考えには自分も同感だ。
自分は異常者にはなりたくないが、異常値を持った人間にはなりたい。
今の時代、観光地間の競争は厳しく、今ほど政治や行政に夢と希望が求められている時代はない。
由布院や黒川の上を行くには、彼ら以上じゃないと・・・。異常じゃないと勝てない。
イチロー選手のようにどのような場面にあっても高い志を持って頑張っていきたい。
今まさに政治や行政もそうでなければならない。住民に大きな夢と希望を与えられる政策展開が求められているのではないかと痛感している。昨今の日本には、社会保障問題、食の安全性、経済対策等、国政レベルでの課題は多くの国民の不安とするところであるが、災害に強い自然環境づくりにしろ、魅力ある地域づくりや地域コミュニティの形成にしろ、地方が担わなければならない課題は多く、それだけに国の再生は地方を抜きにしては語れない。
日本は、明治維新後140年経過したが、相変わらずのトップダウン型の行政システムであり、全国一律の発展のために画一的な作業が求められ、進められてきた結果、地方でも一番大事な企画、立案、提案力がそぎ落とされてしまった。
トップダウン型行政の中で求められていたものは平均値の力を持っている人材だった。ところがトップダウンからボトムアップの地方の力、地域力、地方の企画力、住民の熱意を政策に反映させていく、そのことが政策になっていく時代になってきた。
数年前から国においても国土交通省、経済産業省を中心に地方の企画提案力に期待する動きがあり、国から地方組織へのダイレクトな支援が行われ始めた。意欲と能力のある人材を持った地域には歓迎すべき時代にきている。
そういうときに求められ、必要となるのは平均値ではなく異常値。
ソニーの名誉会長、盛田氏は「我が社には、頭でっかちな平均値は要らない。異常値の集団セクトをつくれ」と檄をとばされたという。あの本田宗一郎さんや松下幸之助さんもずっと求めていたのは平均値の人材ではない。異常値、異分子が欲しい。異分子の持っているエネルギーのすばらしさというのを自分たちは知っている。前例に頼ることなく新しい分野を開拓していくためには異常値を持った人間でないと、これからの21世紀は乗り切ることができないのではないかということを、お二人とも著書のなかで書かれている。この考えには自分も同感だ。
自分は異常者にはなりたくないが、異常値を持った人間にはなりたい。
今の時代、観光地間の競争は厳しく、今ほど政治や行政に夢と希望が求められている時代はない。
由布院や黒川の上を行くには、彼ら以上じゃないと・・・。異常じゃないと勝てない。
イチロー選手のようにどのような場面にあっても高い志を持って頑張っていきたい。
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03:18
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2008年10月04日
地産地消2
9月のファミリーツーリズム研究会で武雄温泉のN旅館のT社長から最近地産地消とは別に持参自消が増えてきたとの報告
があった。お客さんが自分が持参した食材を旅館で調理して提供するというものだ。T社長は武雄温泉の中心的人物であり、
幅広い活躍をされている方であるが情熱があり、熱心なだけに行政に対しては時に厳しい意見もあり、武雄市職員にとっては
天敵、クレーマーかもしれない。嬉野の旅館関係者とは交流もあり、自分もよくお会いするが幅広い見識を持たれている。武雄
市には、嬉野の茶業のような全国に名の知れた農産物こそないが幅広い作物が生産され農業も盛んであるため地産地消もや
りやすいと思われる。最近話題のレモングラスについても市を挙げて取り組まれているが、発端は嬉野で市議を務める茶生産
者が樋渡市長に提案したのが始まりだ。地元で生産されたレモングラスやイノシシ肉を武雄温泉の旅館・ホテルにて提供す
る。発想は理解できるし、地産地消の狙いもあるだろう。しかし主役となるべき旅館・ホテルの意向や経営コストとの兼ね合
い、何よりも武雄温泉に来てくださる観光客の方々の反応はどうだろうか。山間部に位置する温泉地ならともかく盆地で近代的
なまちなみもある武雄温泉に来てイノシシを食べたいと思うだろうか。イノシシ肉よりも若楠ポークの方が好まれはしないか。そ
んなことを思いながら地産地消のあり方を考えている。嬉野温泉の旅館・ホテルでは10月から100%地元産の大豆を使った
温泉湯どうふの提供が始められた。嬉野温泉湯どうふとは、嬉野温泉のやわらかく、なめらかなお湯と豆腐のにがりが絶妙に
マッチした嬉野温泉ならでわの逸品で健康にも良く、観光客に人気が高い。ところが人気が高まってくるとあちこちに湯豆腐の
まがいもの商品が出てきたり、市外業者に商標登録までされるなど嬉野の方々が永年磨き、築き上げてきたブランド横取りや
市場の侵食が行われるようになってきた。
地域には、歴史や文化、伝統があり、地域が培ってきた遺伝子があると思う。ブランドづくりはビジネス面での独占や他地域か
らの締め出しを狙ったものではなく、嬉野という地域には多くの観光客が来てくださり、温泉湯どうふも召し上がっていただく。
せっかく嬉野に来てくださる観光客から嬉野という地域、観光地として預かる憧れや信頼に対してどう答えていくかということを
考えるときにまがいものは出せない。つまりいかに儲けるかではなく、観光地としての嬉野温泉に来てくださるお客さんの憧れ
と信頼に答えるためにもブランドづくりは譲れない。
嬉野温泉観光協会では2年前から嬉野温泉湯どうふ振興協議会を立ち上げ、ブランドづくりのため安全、安心で高品質の地元
産大豆の使用やラベル、パッケージの統一など様々な協議が重ねられ、地元産大豆の使用や市で所有する商標を使用した
パッケージの使用などが定められてきた。
これを実現に至ったのは嬉野温泉観光協会と嬉野温泉旅館組合の2団体のトップを務める嬉野温泉観光ホテル大正屋常務
取締役山口保さんの卓越した指導力と先見性によるものが大きい。温泉湯どうふについては永い期間独自に研究され著書ま
で書かれるほどでその知識、経験は他の追随を許さない。
嬉野温泉湯どうふの振興については、観光事業者を中心に民間事業者の方々のたゆまぬ努力によるところが大きく、行政は
側面からの支援にとどまっている。しかしそれでいい。それが本来のあり方で現場とのギャップはない。行政が何かを行って現
場に持ち込むのではない。行政と距離をおくのでもない。むしろ行政に対して働きかけを行わなければならない。
誰のためのブランドづくりか。誰のためのまちづくりか。それを念頭におき常に自主性を貫くことがポイントだ。
行政に頼るなではなく、行政にあまり頼るなということを感じている。
があった。お客さんが自分が持参した食材を旅館で調理して提供するというものだ。T社長は武雄温泉の中心的人物であり、
幅広い活躍をされている方であるが情熱があり、熱心なだけに行政に対しては時に厳しい意見もあり、武雄市職員にとっては
天敵、クレーマーかもしれない。嬉野の旅館関係者とは交流もあり、自分もよくお会いするが幅広い見識を持たれている。武雄
市には、嬉野の茶業のような全国に名の知れた農産物こそないが幅広い作物が生産され農業も盛んであるため地産地消もや
りやすいと思われる。最近話題のレモングラスについても市を挙げて取り組まれているが、発端は嬉野で市議を務める茶生産
者が樋渡市長に提案したのが始まりだ。地元で生産されたレモングラスやイノシシ肉を武雄温泉の旅館・ホテルにて提供す
る。発想は理解できるし、地産地消の狙いもあるだろう。しかし主役となるべき旅館・ホテルの意向や経営コストとの兼ね合
い、何よりも武雄温泉に来てくださる観光客の方々の反応はどうだろうか。山間部に位置する温泉地ならともかく盆地で近代的
なまちなみもある武雄温泉に来てイノシシを食べたいと思うだろうか。イノシシ肉よりも若楠ポークの方が好まれはしないか。そ
んなことを思いながら地産地消のあり方を考えている。嬉野温泉の旅館・ホテルでは10月から100%地元産の大豆を使った
温泉湯どうふの提供が始められた。嬉野温泉湯どうふとは、嬉野温泉のやわらかく、なめらかなお湯と豆腐のにがりが絶妙に
マッチした嬉野温泉ならでわの逸品で健康にも良く、観光客に人気が高い。ところが人気が高まってくるとあちこちに湯豆腐の
まがいもの商品が出てきたり、市外業者に商標登録までされるなど嬉野の方々が永年磨き、築き上げてきたブランド横取りや
市場の侵食が行われるようになってきた。
地域には、歴史や文化、伝統があり、地域が培ってきた遺伝子があると思う。ブランドづくりはビジネス面での独占や他地域か
らの締め出しを狙ったものではなく、嬉野という地域には多くの観光客が来てくださり、温泉湯どうふも召し上がっていただく。
せっかく嬉野に来てくださる観光客から嬉野という地域、観光地として預かる憧れや信頼に対してどう答えていくかということを
考えるときにまがいものは出せない。つまりいかに儲けるかではなく、観光地としての嬉野温泉に来てくださるお客さんの憧れ
と信頼に答えるためにもブランドづくりは譲れない。
嬉野温泉観光協会では2年前から嬉野温泉湯どうふ振興協議会を立ち上げ、ブランドづくりのため安全、安心で高品質の地元
産大豆の使用やラベル、パッケージの統一など様々な協議が重ねられ、地元産大豆の使用や市で所有する商標を使用した
パッケージの使用などが定められてきた。
これを実現に至ったのは嬉野温泉観光協会と嬉野温泉旅館組合の2団体のトップを務める嬉野温泉観光ホテル大正屋常務
取締役山口保さんの卓越した指導力と先見性によるものが大きい。温泉湯どうふについては永い期間独自に研究され著書ま
で書かれるほどでその知識、経験は他の追随を許さない。
嬉野温泉湯どうふの振興については、観光事業者を中心に民間事業者の方々のたゆまぬ努力によるところが大きく、行政は
側面からの支援にとどまっている。しかしそれでいい。それが本来のあり方で現場とのギャップはない。行政が何かを行って現
場に持ち込むのではない。行政と距離をおくのでもない。むしろ行政に対して働きかけを行わなければならない。
誰のためのブランドづくりか。誰のためのまちづくりか。それを念頭におき常に自主性を貫くことがポイントだ。
行政に頼るなではなく、行政にあまり頼るなということを感じている。
Posted by 嬉野温泉 at
15:42
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2008年10月02日
地産地消
今年6月の佐賀県ファミリーツーリズム研究会では「地産地消とファミリーツーリズム」という内容で会長を努める相田観光企画監よりお話をされ、地産地消の意味や観光やツーリズムの観点からの考え方についてご教示いただいた。この地産地消もいろいろな立場の人が、いろいろな思いで提唱しており、あいまいなままのようだ。地産とは何処までの範囲を地元というのか。地消とはどれくらい地元で消費されればいいのか。寂れた田舎の温泉だった由布院を全国有数の観光地に育て上げた亀の井
別荘の中谷健太郎氏は、地産の範囲を車でおおよそ1時間半とされているが自分の感覚からすれば範囲が広すぎて説得力がない。ただ由布院から車で1時間半の範囲内にある佐伯のふぐと博多の魚市場を取り込みたいための線引きのように思われる。それでも全国から宿泊客が訪れる有名旅館亀の井別荘にとって、旅行のラケット理論が働いて泊まった宿に広範囲からの食材が集まっていても十分地の物ということで通用するのかも知れない。
地産地消運動というのは、農村と観光の安全・安心な接点と新たな食文化への見直し、経済の共有と地域再生運動のねらい
がある。地元のものを地元で消費するということだけではなく、地元の与えられた環境の中で生きていくということも意味する。
以前、嬉野の老舗旅館大正屋の息子さんと話したことがあるが、地産地消は嬉野という地域で考えたら相当限られてくる。
しかし、佐賀県や嬉野から車で1時間という地産エリアで考えていくと面白い。
道路事情や交通アクセスが良好なこともあり、海産物では玄海、有明、西海、長崎など多種多様、農産物もないものを探すこ
との方が難しいほどであり、由布院など他の観光地では考えられないほど豊かな食材にあふれている。
この10月から観光庁が発足した。国を挙げて観光振興に取り組んでいくことは観光地として非常にありがたいこと。
しかし、観光行政は総合行政でもある。地域の観光振興は観光担当のみの力では成り立たず、あらゆる行政施策や地域資源
によるところが大きい。つまるところ観光学は地域学だ。
観光や農業や漁業といった分野で分けて考えるのではなくて、観光や農業や漁業を観光客を受け入れるための要素として考
え、地域の持っている素材を総動員して観光客をお迎えしていきたいと思っている。
別荘の中谷健太郎氏は、地産の範囲を車でおおよそ1時間半とされているが自分の感覚からすれば範囲が広すぎて説得力がない。ただ由布院から車で1時間半の範囲内にある佐伯のふぐと博多の魚市場を取り込みたいための線引きのように思われる。それでも全国から宿泊客が訪れる有名旅館亀の井別荘にとって、旅行のラケット理論が働いて泊まった宿に広範囲からの食材が集まっていても十分地の物ということで通用するのかも知れない。
地産地消運動というのは、農村と観光の安全・安心な接点と新たな食文化への見直し、経済の共有と地域再生運動のねらい
がある。地元のものを地元で消費するということだけではなく、地元の与えられた環境の中で生きていくということも意味する。
以前、嬉野の老舗旅館大正屋の息子さんと話したことがあるが、地産地消は嬉野という地域で考えたら相当限られてくる。
しかし、佐賀県や嬉野から車で1時間という地産エリアで考えていくと面白い。
道路事情や交通アクセスが良好なこともあり、海産物では玄海、有明、西海、長崎など多種多様、農産物もないものを探すこ
との方が難しいほどであり、由布院など他の観光地では考えられないほど豊かな食材にあふれている。
この10月から観光庁が発足した。国を挙げて観光振興に取り組んでいくことは観光地として非常にありがたいこと。
しかし、観光行政は総合行政でもある。地域の観光振興は観光担当のみの力では成り立たず、あらゆる行政施策や地域資源
によるところが大きい。つまるところ観光学は地域学だ。
観光や農業や漁業といった分野で分けて考えるのではなくて、観光や農業や漁業を観光客を受け入れるための要素として考
え、地域の持っている素材を総動員して観光客をお迎えしていきたいと思っている。
Posted by 嬉野温泉 at
02:02
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