ブログにはプロフィールを公表する人が多い。しかし自分には公表するような肩書きや経歴はないし過去の自分で勝負するような人間にはなりたくない。気づいたこと感じたことを自由に書き込んでいきたい。

2010年10月06日

おもてなしを考える。

おもてなしという言葉は、お持て成しと書く。

何かを持って、何かをなす と書く。

つまり、おもてなしは結果を伴わなくては意味がない。

最近、おもてなしという言葉が都合よく解釈され、氾濫しているようにも見える。

もてなしとホスピタリティを混同している印象もある。

ホスピタリティという言葉は、十字軍の救護宿が語源。

騎士団が十字軍として戦いに出て行くとき、沿道の住民が宿を提供した。

食事を出し、ベッドも用意し、病人やけが人がいれば看護する。

これをホスピタルと言った。

ホスピタルとは、一点監視できる状態が保たれる管理型施設。

病院でいうナースステーション。

そんな考え方が今もサービス業にも影響を与えており、管理型中心で制度だけが整えられている。

しかし非制度的なもてなしが大切と考える。

現場における、より創発的な動きが、今のもてなしには求められている。

柔軟性に欠く、制度に基づいたサービスはホスピタリティではあっても、もてなしにはならない。

今日、東大教授から嬉野温泉は地域として、お客さんをお迎えする上でもてなしのレベルが低く、

努力不足と酷評された。数年先、新幹線が来ることを考えると相当な努力を要するとの指摘も受けた。

おっしゃる通りで当然。協調性や団結力に欠け、人材のレベルが低いということ。

これから春まで県庁で薫陶を受けたSさんの指導を思い出しながらホスピタリティとは異なる、

サービス・もてなしの意味を考えてみたい。




Posted by 嬉野温泉 at 00:47│Comments(0)
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