2011年03月04日
東京へ行きたい。
最近、年に数回は東京に行った方がいい、行かねばと思っている。
それは自分自身が少しでも成長し大きな人間になるため、気づかないものに気づくため。
地方にいては情報は足りないし、感性の問題もあるがものの考え方がグローバル化していないのが
一番の問題だと思っている。
地方にいるからグローバルな物事は関係ない、インターネットがあるから情報は入ると思うのはちがう。
グローバル化していないから、ローカルの強化ができない。自分の立ち位置がわかっていない。
そのためにも外へ出て肌で感じて気づくこと、自分の、嬉野のアイデンティティに気づくこと。
都会を背にして気づくこと。そこに地域に対する誇りが生まれる。
大事なのは「地域学を深める」こと、地域を知らずして誇りは生まれてこない。
嬉野では温泉にしても、お茶にしても、焼き物にも、それぞれに全国、世界に通用する価値を
持っている。
温泉が1300年の歴史がある、お茶も焼き物も400年以上、おそらく全国で最も歴史がある。
石積の茶畑も長い間守られてきた、そして日本の歴史に影響をあたえた。
長い間築いてきた、まちに記憶されてきたものの目に見えない力とか姿を見ようとしないから、
素晴らしさに気づくことができない。
なかなか、そういう価値に気付かない人がいるから、立派な先生に来てもらってほめたり、
怒ったりしてもらえると、自分たちの本当の価値に気づく。
だからこそ以前は他の人にも気づいてもらえるように仕向けていた。
そういう“気づき”というのは全体でやっていくってのではなくて、1人、2人から目覚めていく
火がついていく、そんな気がする。
若いときはよく東京へ行ってた。今思えば良かった。
東京のどこに行きたいという観光気分はないけど、地方にないものを探しに東京へ行きたい。
それは自分自身が少しでも成長し大きな人間になるため、気づかないものに気づくため。
地方にいては情報は足りないし、感性の問題もあるがものの考え方がグローバル化していないのが
一番の問題だと思っている。
地方にいるからグローバルな物事は関係ない、インターネットがあるから情報は入ると思うのはちがう。
グローバル化していないから、ローカルの強化ができない。自分の立ち位置がわかっていない。
そのためにも外へ出て肌で感じて気づくこと、自分の、嬉野のアイデンティティに気づくこと。
都会を背にして気づくこと。そこに地域に対する誇りが生まれる。
大事なのは「地域学を深める」こと、地域を知らずして誇りは生まれてこない。
嬉野では温泉にしても、お茶にしても、焼き物にも、それぞれに全国、世界に通用する価値を
持っている。
温泉が1300年の歴史がある、お茶も焼き物も400年以上、おそらく全国で最も歴史がある。
石積の茶畑も長い間守られてきた、そして日本の歴史に影響をあたえた。
長い間築いてきた、まちに記憶されてきたものの目に見えない力とか姿を見ようとしないから、
素晴らしさに気づくことができない。
なかなか、そういう価値に気付かない人がいるから、立派な先生に来てもらってほめたり、
怒ったりしてもらえると、自分たちの本当の価値に気づく。
だからこそ以前は他の人にも気づいてもらえるように仕向けていた。
そういう“気づき”というのは全体でやっていくってのではなくて、1人、2人から目覚めていく
火がついていく、そんな気がする。
若いときはよく東京へ行ってた。今思えば良かった。
東京のどこに行きたいという観光気分はないけど、地方にないものを探しに東京へ行きたい。
Posted by 嬉野温泉 at 00:43│Comments(0)