2011年02月25日
「想い」と「共感」
2011年の消費・メディア・マ-ケティング手法の潮流を探ってみた。
気になったのが電通の「想い」と「共感」
企業がブランドに込めた「想い」が相手に伝わること、
その想いに「共感」してもらうことがより重要になるのではないか。
これは企業だけでなく地域にも当てはまると思う。
例えば観光地がこれを目指しているとわかる、賛成できる。
地域がやっていることが賛成しやすい。
そんな地域にはお客さんも集まる。由布院しかり黒川しかり。
要は地域全体で多くの賛同が得られるテーマ・コンセプト・ビジョンを構築できるか。
テーマ・コンセプト・ビジョンがはっきりしていればメディアも取り上げやすい。
広告宣伝を行うにしても地域の発信イメージと受け手の解釈イメージが異なるようだと
効果は少ない。
嬉野人の「想い」をお客さんに「共感」してもらえる取り組みが必要だ。
気になったのが電通の「想い」と「共感」
企業がブランドに込めた「想い」が相手に伝わること、
その想いに「共感」してもらうことがより重要になるのではないか。
これは企業だけでなく地域にも当てはまると思う。
例えば観光地がこれを目指しているとわかる、賛成できる。
地域がやっていることが賛成しやすい。
そんな地域にはお客さんも集まる。由布院しかり黒川しかり。
要は地域全体で多くの賛同が得られるテーマ・コンセプト・ビジョンを構築できるか。
テーマ・コンセプト・ビジョンがはっきりしていればメディアも取り上げやすい。
広告宣伝を行うにしても地域の発信イメージと受け手の解釈イメージが異なるようだと
効果は少ない。
嬉野人の「想い」をお客さんに「共感」してもらえる取り組みが必要だ。
Posted by 嬉野温泉 at
01:23
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2011年02月25日
アンチテーゼ
アンチテーゼとは対照・反定立・正反対
由布院は別府のアンチテーゼ
かつて由布院は別府の影に隠れたひなびた田舎の温泉地だった。
由布院の知名度が上がり、誰もが憧れる温泉地として注目を集めるように
なったのは、それほど昔のことではない。
実質、この20年ほどのこと。
今、由布院が温泉観光地として、温泉保養地として多様な層から揺るぎない支持を
集めて続けている理由は時代におもねた結果ではないはず。
数十年前、由布院が寂れ果てていた頃、山一つ隔てた別府は当時日本一の温泉地だった。
かつての温泉旅行は男性・団体客・歓楽街が主流、規模の小さな由布院に客は来なかった。
そんなとき当時の町長は「小さな別府にしてはいけない」と保養地づくりを目指した。
別府が男性・団体客・歓楽街なら由布院は女性・小グループ・保養地と明確に区分けし、
他の温泉地が別府のように団体客獲得に奔走するなかで由布院は逆の戦略をとった。
流行を追わなかった由布院は今最も人気のある温泉地として繁栄している。
かつて経済最優先の手法として歓楽型の温泉地づくりに猪突猛進してきた各地の温泉地が、
バブル崩壊後、経済的にも精神的にも静かになってみると、歴史や文化の重要性がより
強く感じられるようになってきている。
しかし、気になることがある。ここに来て、日本各地の温泉地が手法こそ異なるものの、
また同じような発想で画一化されようとしている。
つまりどこも療養、保養と唱え始めた。
ここで考えさせられるのは流行のものがいい、最先端のものがいいということではなく、
自分たちの地域の価値基準がはっきりしているかが重要ではないか。
社会的ニーズへの対応という視点は保持しつつも、自分なりに過去の反省点から
見つけ出した指針は「流行に乗らない嬉野」「ベストセラーではなく古典であるべき」
つまり自らがトレンドの発信地となりうる努力を重ねること。
一口に温泉といっても、泉質は千差万別、湧出する環境や地域の伝統・文化も様々、
だからこそ、それぞれの地域にしか築けない個性を見出し、育て上げる志が何より大切だ。
歓楽的な温泉地があってもいい、その一方で療養一筋の温泉地があっても、自然環境や景観を
重視した温泉地があってもいい。
一番大事なのはその土地らしさ、その地域らしさを意識して構築すること。
「個性化に磨きをかけていく」姿勢こそが温泉地として時代を越える魅力を創出できるはずだ。
ドイツのバーデンをモデルにして発展した由布院に、旅館、茶道、花街、きもの、しつらい、
古くから日本に伝わるおもてなしの精神が息づいた嬉野。
嬉野らしいおもてなしに磨きをかけ、由布院にアンチテーゼを突きつけたい。
由布院は別府のアンチテーゼ
かつて由布院は別府の影に隠れたひなびた田舎の温泉地だった。
由布院の知名度が上がり、誰もが憧れる温泉地として注目を集めるように
なったのは、それほど昔のことではない。
実質、この20年ほどのこと。
今、由布院が温泉観光地として、温泉保養地として多様な層から揺るぎない支持を
集めて続けている理由は時代におもねた結果ではないはず。
数十年前、由布院が寂れ果てていた頃、山一つ隔てた別府は当時日本一の温泉地だった。
かつての温泉旅行は男性・団体客・歓楽街が主流、規模の小さな由布院に客は来なかった。
そんなとき当時の町長は「小さな別府にしてはいけない」と保養地づくりを目指した。
別府が男性・団体客・歓楽街なら由布院は女性・小グループ・保養地と明確に区分けし、
他の温泉地が別府のように団体客獲得に奔走するなかで由布院は逆の戦略をとった。
流行を追わなかった由布院は今最も人気のある温泉地として繁栄している。
かつて経済最優先の手法として歓楽型の温泉地づくりに猪突猛進してきた各地の温泉地が、
バブル崩壊後、経済的にも精神的にも静かになってみると、歴史や文化の重要性がより
強く感じられるようになってきている。
しかし、気になることがある。ここに来て、日本各地の温泉地が手法こそ異なるものの、
また同じような発想で画一化されようとしている。
つまりどこも療養、保養と唱え始めた。
ここで考えさせられるのは流行のものがいい、最先端のものがいいということではなく、
自分たちの地域の価値基準がはっきりしているかが重要ではないか。
社会的ニーズへの対応という視点は保持しつつも、自分なりに過去の反省点から
見つけ出した指針は「流行に乗らない嬉野」「ベストセラーではなく古典であるべき」
つまり自らがトレンドの発信地となりうる努力を重ねること。
一口に温泉といっても、泉質は千差万別、湧出する環境や地域の伝統・文化も様々、
だからこそ、それぞれの地域にしか築けない個性を見出し、育て上げる志が何より大切だ。
歓楽的な温泉地があってもいい、その一方で療養一筋の温泉地があっても、自然環境や景観を
重視した温泉地があってもいい。
一番大事なのはその土地らしさ、その地域らしさを意識して構築すること。
「個性化に磨きをかけていく」姿勢こそが温泉地として時代を越える魅力を創出できるはずだ。
ドイツのバーデンをモデルにして発展した由布院に、旅館、茶道、花街、きもの、しつらい、
古くから日本に伝わるおもてなしの精神が息づいた嬉野。
嬉野らしいおもてなしに磨きをかけ、由布院にアンチテーゼを突きつけたい。
Posted by 嬉野温泉 at
01:11
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