2009年04月11日
近況心理
昨年末ぐらいから仕事について考えていた。
親父が生きていれば絶対に今の仕事を辞めるなと言うと思う。
随分長い間、激変する時代、逆境に燃える自分を抑えることが
できるのか、できないのか。
そんな自問自答の日々のなかにあったが多忙をきわめるなか
いろいろ考えすぎて結局動けなかった、のか。
だが今の立場を捨ててでもやるべきものも・・・。
何もしなければ楽に過ごせるかも・・・。
保身もなく、打算もない。
器用ではないが心はある。
夢を抱ける嬉野でありたい。
真剣にそう思っている。
どんな立場であれ嬉野の再生に人生をかけたい。
親父が生きていれば絶対に今の仕事を辞めるなと言うと思う。
随分長い間、激変する時代、逆境に燃える自分を抑えることが
できるのか、できないのか。
そんな自問自答の日々のなかにあったが多忙をきわめるなか
いろいろ考えすぎて結局動けなかった、のか。
だが今の立場を捨ててでもやるべきものも・・・。
何もしなければ楽に過ごせるかも・・・。
保身もなく、打算もない。
器用ではないが心はある。
夢を抱ける嬉野でありたい。
真剣にそう思っている。
どんな立場であれ嬉野の再生に人生をかけたい。
Posted by 嬉野温泉 at
01:01
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2009年04月11日
ふるさと創生ふたたび
1962年、21世紀の日本はどうあるべきかということで、国が初めて全国総合開発計画、
全総というものを立ち上げた。
それから10年後の1972年に田中内閣が発足をして、その所信表明演説のなかで田中角栄首相は
「21世紀の日本は、それまでの中央集権体制から脱却をして、地方の自立を図るべく政策を展開していく
必要がある」と言われている。
しかし現実はそうはなっていない。
日本は明治政府樹立以来140年を経過しているが、相変わらずのトップダウン型の行政システムというのは
変わらなかった。地方は国に財源のおねだりをするのか。そうさせられたのか。
そして日本の全国一律の発展のために画一的な作業が求められ、進められた時代でだった。
このため地方でもまさにトップダウン型の行政システムを貫徹するために、一番大切な企画、立案、提案力
というものが全くそぎ落とされてしまった。
以前、ある雑誌で全国の各都道府県の中で、一番過疎化に悩み、一番小さな人口の少ない自治体の首長に
この「ふるさと創生1億円」についてどういう期待、希望を持っているか、どういう政策を展開しようと考えているか。
そういうアンケートを行った。
その結果、99%の首長が「どうしたらいいか全くわからない、とまどっている、先が見えない」と答えている。
このとき自分はまだ学生だったが愕然とした記憶がある。
それほどまでそれまでの日本の地方自治体というのは、地方の時代、地方分権と言われている状況のなかで
現実のところ、国が自らのマニュアルを示さず、それぞれの地方が自ら考えて、自ら実践しなさいとして1億円を
一つのベースにして何かをやろうとしていたときに、自分たちが何ができるかということに対して意欲を示した首長が
全くいなかったということ。これはやはり140年間続いた日本のトップダウン型行政の弊害が如実にあらわれている
ということを感じとった記憶がある。
しかし21世紀になり、小泉首相の三位一体改革の断行によって地方はかつてないほどの厳しい財政運営を余儀なく
されている。そして画一的なトップダウン型行政システムからボトムアップ型の新しいパラダイムにが求められる時代に
突入してきた。
特に国土交通省、経済産業省を中心にして地方の政策提案力に期待しようという動きは、一方で新たな活力を生み
出そうとしている。その力が蓄積されたポテンシャルの高い地域にとっては歓迎すべき時代潮流だと思う。
全国的に市町村合併が進み、新たな自治体が生み出されている昨今、地域それぞれの人的交流、歴史や伝統の融合
は一朝一夕に果たせるわけではない。それだけに、新しい自治体における政策展開の即戦力に期待するよりも、地域
組織やグループが継続的に実践しようとする独自の振興戦略に期待する風潮が高まりつつあるのは事実であるし、
その土壌づくりは急務だ。
中央省庁は自治体経由ではなく、地域に対してダイレクトに活動を支援してきた。
小さな地域、小さな組織であっても意欲と能力さえあれば光が当たるようなボトムアップ型の政策は道路整備陳情型の
ような政治手法が幅を利かす時代ではなくなってきたのは歓迎すべき傾向にあるとひそかに喜んでいる。
20年前、好景気の時代に仕組まれたふるさと創生による地方分権の思想が21世紀の今、トップダウンからボトムアップ
の地方の力、地域力、地方の企画力、住民の熱意を政策に反映させていく、そのことが政策になっていく時代になってきた。
厳しい時代、今ほど政治や行政に夢と希望が求められる時代はない。
地方に生きる人々は皆よく勉強し頑張らなければならない。
全総というものを立ち上げた。
それから10年後の1972年に田中内閣が発足をして、その所信表明演説のなかで田中角栄首相は
「21世紀の日本は、それまでの中央集権体制から脱却をして、地方の自立を図るべく政策を展開していく
必要がある」と言われている。
しかし現実はそうはなっていない。
日本は明治政府樹立以来140年を経過しているが、相変わらずのトップダウン型の行政システムというのは
変わらなかった。地方は国に財源のおねだりをするのか。そうさせられたのか。
そして日本の全国一律の発展のために画一的な作業が求められ、進められた時代でだった。
このため地方でもまさにトップダウン型の行政システムを貫徹するために、一番大切な企画、立案、提案力
というものが全くそぎ落とされてしまった。
以前、ある雑誌で全国の各都道府県の中で、一番過疎化に悩み、一番小さな人口の少ない自治体の首長に
この「ふるさと創生1億円」についてどういう期待、希望を持っているか、どういう政策を展開しようと考えているか。
そういうアンケートを行った。
その結果、99%の首長が「どうしたらいいか全くわからない、とまどっている、先が見えない」と答えている。
このとき自分はまだ学生だったが愕然とした記憶がある。
それほどまでそれまでの日本の地方自治体というのは、地方の時代、地方分権と言われている状況のなかで
現実のところ、国が自らのマニュアルを示さず、それぞれの地方が自ら考えて、自ら実践しなさいとして1億円を
一つのベースにして何かをやろうとしていたときに、自分たちが何ができるかということに対して意欲を示した首長が
全くいなかったということ。これはやはり140年間続いた日本のトップダウン型行政の弊害が如実にあらわれている
ということを感じとった記憶がある。
しかし21世紀になり、小泉首相の三位一体改革の断行によって地方はかつてないほどの厳しい財政運営を余儀なく
されている。そして画一的なトップダウン型行政システムからボトムアップ型の新しいパラダイムにが求められる時代に
突入してきた。
特に国土交通省、経済産業省を中心にして地方の政策提案力に期待しようという動きは、一方で新たな活力を生み
出そうとしている。その力が蓄積されたポテンシャルの高い地域にとっては歓迎すべき時代潮流だと思う。
全国的に市町村合併が進み、新たな自治体が生み出されている昨今、地域それぞれの人的交流、歴史や伝統の融合
は一朝一夕に果たせるわけではない。それだけに、新しい自治体における政策展開の即戦力に期待するよりも、地域
組織やグループが継続的に実践しようとする独自の振興戦略に期待する風潮が高まりつつあるのは事実であるし、
その土壌づくりは急務だ。
中央省庁は自治体経由ではなく、地域に対してダイレクトに活動を支援してきた。
小さな地域、小さな組織であっても意欲と能力さえあれば光が当たるようなボトムアップ型の政策は道路整備陳情型の
ような政治手法が幅を利かす時代ではなくなってきたのは歓迎すべき傾向にあるとひそかに喜んでいる。
20年前、好景気の時代に仕組まれたふるさと創生による地方分権の思想が21世紀の今、トップダウンからボトムアップ
の地方の力、地域力、地方の企画力、住民の熱意を政策に反映させていく、そのことが政策になっていく時代になってきた。
厳しい時代、今ほど政治や行政に夢と希望が求められる時代はない。
地方に生きる人々は皆よく勉強し頑張らなければならない。
Posted by 嬉野温泉 at
00:03
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